「蝶追つて子の残酷な笑ひ声」の批評
回答者 イサク
こんばんは。
(引き続き、選句は先生によって差があるという前提で)
まだ二句しか拝見しておりませんが、「頭の中で想像したストーリー」をそのまま俳句に作る癖があるかもしれません。
ある種のストーリーは風景を補うためにあってもよいですが、そのストーリーを補うために置かれる「説明的な言葉」は、俳句から風景を想像する時に邪魔になってくることがあります。
前の句では「やさしく止まり」「風を待つ」どちらも頭の中で想像した蝶を説明するために置いていました。
今回の句でも「残酷な笑ひ声」というのは、頭の中で考えた「子どもの無邪気な残忍さを表現できたら」を説明するために置かれている言葉だと思います。
さて「残酷な笑ひ声」とはどんな笑い声なのでしょうか?
ドラマ・マンガ・アニメでは、わざと「残酷に見えるように」笑っている例はありますが・・・この句の「子」は、そういう笑い方をしているのでしょうか??
他にも気になる点はあります(季語「蝶」よりも「笑ひ声」が主役になっている、笑い声を上げながら蝶を追うことのリアリティ、など)が、長くなりすぎるのでこれで。
・甲高き声の子ふたり蝶を追ふ
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続けて投句することをお許しください。前回の反省点を踏まえて1から作り直しました。意味は蝶を追う子どもの無邪気な残忍さを表現できたらと思い、このようにしました。