「自転車で買い出し母の杏木もさいちょるか」の批評
回答者 なお
小野豊さん、こんにちは。
御句拝読しました。三句目です。
難解な二句を拝読した後でこの句だと、とてもわかりやすく感じます。
余談ですが、私の母はアンズの花は知りませんが、アンズの実を甘く似たものは好きでした。今でも命日にはお供えしております。
御句、それにしてもすごい字余りですね。俳句の基本は五七五だということはご存知でしょうか?
余談ですが、アンズを杏子と書くと、黒田杏子先生のお顔が出てきますね。
私は、字余りを解消して、でもこの句に独特の味わいを添えている「さいちょるか」は残したいと思いました。さいちょるか、は咲いているか?という疑問形ではないのですね?
・母想ひ眺む杏のさいちょるか
音数の関係で「母の杏」としたい気持ちはありましたが、お母様が植えた杏の木のように思えましたのでやめました。
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私は今は大阪に住んでいます。
以前春前に実家大分に帰ってた時は、花が好きな母の杏子の花が綺麗に咲いていました。
自転車で飲食店での買い出しに向かう途中に、近所の家で見る、杏子の花が今年も満開になっていた時に、自転車を止め数秒だけ杏子の花を眺めての一句です。
さいちょるかは大分弁で、咲いているとか咲いているよなぁと言う意味です。
あんずは夏の季語、あんずの花は春の季語ですが、さいちょるかで花が咲いてる事はわかるので、杏木にする事が正しいのか良くわかりません。