「冬凪に幸せと呼ぶもの見たり」の批評
回答者 なお
こんにちは。ちぇいさー様、いつもお世話になってます。
御句拝読しました。「冬凪」。なんともおしゃれな季語ですね。朝凪や夕凪は存じていましたが、冬凪もあるのですね。確かに冬凪の穏やかな海のような状況が幸せなのかもしれません。共感します。
しかし御句、俳句としてはちょっとわかりにくいような気がします。それはおそらく、冬凪は海の様子で、その後が実体のない抽象的な言葉が続くからです。
私は、げばさんもおっしゃっているように、何か具体的なものと合わせたほうが読み手に気持ちが伝わるのではないかと思いました。
例えば、
・親の死を伝える葉書冬の凪
「幸せと呼ぶもの」とか「おだやかな様子」を語ろうとしているのに何が「親の死」だよ、縁起でもない、とおっしゃるかもしれません。
しかし親が先に死ぬのは世の習いであり、これは幸せでおだやかなことだと思うのです。反対に、子どものほうが先に死に親が葬式を出す、いわゆる逆縁、これほど不幸せでおだやかでないことはありません。
長くなりまして申し訳ありません。こんな大それたことでなくても、朝、気持ちよく起きられた、天気がいい、炊き立てのご飯が美味しい、みんなが挨拶してくれた、電車に座れた…。
そんな小さな幸せを読み込んだら、御句はもっとイキイキとするのではと思いました。
点数: 1
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幸せとは苦しい時があるからこそ・・・みたいなことがよくいわれているので歳時記をペラペラめくっていたらなんか似ているなと思いました
幸せに実態があればこんなかんじかなという感じです