「冬の山天地も人も生きてこそ」の批評
回答者 なお
こんにちは。よした山月様、いつもお世話になってます。
よしたさんのご性格だと思いますが、物事をとても真面目にとらえて真剣に向き合っていらっしゃいますね。これまでのコメントにそれがよく表れていると思います。
それが良くないはずはなく、全く問題ないです。俳句においても、例えば春なら桜を見て、秋なら枯葉を見て、人生とか哲学とかを考える、これも悪くないと思います。先人たちも、色々とお考えだったと思いますよ。
ただ、それを五七五で詠み、人様に見てもらうとなると、話が違うと思うのです。なんと言っても五七五、わずか十七音で人生や哲学を語るのは、生易しいことではありません。達人であれば別かもしれませんが。
要するに、かなり難しくて、抽象的な、禅問答みたいになりがちです。
御句がそうというわけではありませんが、ただ、具体的な光景が見えてこなくて、そうなると個々人で想像しなくてはならないです。
ある程度の景色の描写があり、あとは読み手の想像に、というのであればいいですが、上五の季語のすぐあとがかなり抽象的ですので想像も難しく困っています。
点数: 1
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よろしくお願いいたします。
先句に続き
実家からの冬山を眺め、我が人生
家族のこと、友のことを振り返りつつ
また、理屈ではわかっているのに、ふと思い確認を。
先人たちの俳句には
その背景や思い、そういったものも句に添えられていたのでしょうか
句、一本でその思いを表し
受ける側もそれを読み取れる力があったのでしょうか
日記や雑記、紀行の中に句があり
それらの前後の流れから句意が読み取れたのでしょうか
なぞと思い
奥の細道を読み返してみれば
一瞬にして氷解したのでございました。
コメント、思い、生き方大切なことですね。
句意に生無きことに対して
否定的な思いはなきこと念のため記します。