「霜踏みてゆく年思ひ合掌す」の批評
回答者 イサク
こんばんは。
季重なりの件は先に出ていますね。
「ゆく年」を残す残さないにかかわらず「思ひ」は不要であると思います。
「ゆく年」と書けばすでに「ゆく年」のことを思っていますし、「~思ひ合掌す」の説明感・ありきたり感も気になります。
厳しめなところでは、下五「合掌す」が、自分の動作を報告する使い方そのものなのが気になります。
この使い方では、上五中七に「合掌する理由」が来てしまって、説明になりがちなのもあります。
・合掌す霜を踏みしめたる朝に
・母は霜降りたる庭に合掌す
点数: 1
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皆さま、全世界の方々、私においても
過ぎた年、行く年、来る年、想像もつかない
ことが山積みだろう年かと思います。
句は、先日思いがけずな帰省の朝、霜がおりている庭に立ち
さくさくと踏みしめ歩きながらの景です。
コロナのこと、身内の孤独死や事故死
霜を踏みながら、年の瀬を改めて感じ
一年、二年と振り返りつつ、そっと祈りました。
と、内容はしんみりですが
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