俳句添削道場(投句と批評)

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吾子が手をひらいて見ゆは幾楓

作者 よした 山月  投稿日

要望:厳しくしてください

コメント(俳句の意味。悩みどころ)

「吾子の(が)手や」とした方がよいのか?切れ字が理解できていないので上としました。

我が子の動かす手が、今瞬間はひらひら舞い落ちる紅葉にみえ、刹那の先は青い楓にもみえ
道端でも、紅葉狩りができたような心持ちだと言い表したかったです。

よろしくお願いいたします。

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「吾子が手をひらいて見ゆは幾楓」の批評

回答者 なおじい

よした 山月さん、こんにちは。御句の感想と提案句を置かせていただきます。

御句、小さい子の手(のひら)がカエデに見えるというのは、その時に本当にそうお思いになったのかもしれませんが、俳句では難しいようですよ。と言いますのは、よくそのようにいわれますが、では本当にそう思ったのかというと、「いや、昔からそのように言われているから、そのように詠みました」という場合が多い、というのをどこかで読みました。このように言われているということは、昔から実に多くの句に詠まれたいるということであり、失礼ながら、「またか…」という感想を持たれてしまいがちです。

これは、げばげばさんがご指摘の比喩の問題とは別の話です。

げばさんは、季語は比喩ではダメということを、実際に紅葉狩りに行ったことにしてうまく処理していますね。
悔しいですが(笑)、私も乗っかって提案句を置かせていただきます。

・吾子の手に楓ひとひら紅葉狩り

句の評価:
★★★★★

点数: 1

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添削一覧 点数の高い順に並んでいます。

「吾子が手をひらいて見ゆは幾楓」の批評

回答者 げばげば

句の評価:
★★★★★

こんにちは。
いつも勉強させていただいています。

吾子の手が楓に見えるという句でしょうか?目の前には楓はなく、吾子の手を見て、紅葉に見えたという。
これは、季語なしの句という形になります。楓のやうな吾子の手、となるので。
季語を比喩に使って、季語がないということは、わりと最初はよくあるかもしれません。注意が必要です!

紅葉狩り子の小さき手も楓めき

実際紅葉狩りをしてる光景にかえてしまいました。

点数: 1

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添削対象の句『吾子が手をひらいて見ゆは幾楓』 作者: よした 山月
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