「吾子が手をひらいて見ゆは幾楓」の批評
回答者 なお
よした 山月さん、こんにちは。御句の感想と提案句を置かせていただきます。
御句、小さい子の手(のひら)がカエデに見えるというのは、その時に本当にそうお思いになったのかもしれませんが、俳句では難しいようですよ。と言いますのは、よくそのようにいわれますが、では本当にそう思ったのかというと、「いや、昔からそのように言われているから、そのように詠みました」という場合が多い、というのをどこかで読みました。このように言われているということは、昔から実に多くの句に詠まれたいるということであり、失礼ながら、「またか…」という感想を持たれてしまいがちです。
これは、げばげばさんがご指摘の比喩の問題とは別の話です。
げばさんは、季語は比喩ではダメということを、実際に紅葉狩りに行ったことにしてうまく処理していますね。
悔しいですが(笑)、私も乗っかって提案句を置かせていただきます。
・吾子の手に楓ひとひら紅葉狩り
点数: 1
添削のお礼として、なおさんの俳句の感想を書いてください >>
「吾子の(が)手や」とした方がよいのか?切れ字が理解できていないので上としました。
我が子の動かす手が、今瞬間はひらひら舞い落ちる紅葉にみえ、刹那の先は青い楓にもみえ
道端でも、紅葉狩りができたような心持ちだと言い表したかったです。
よろしくお願いいたします。