「栗虫の浮きたる水を捨てにけり」の批評
回答者 なお
こんにちは。大江深夜様、いつもお世話になってます。
御句、よし造さんが他の方の鑑賞をご覧になりたいとのことですので、私のような者でも他山の石にしていただければと投稿します。
そもそも私は「栗虫」なる存在を知らなくて、ネットで調べて、詠まれた句も拝読しました。
その結果の私の感想をお伝えします。
皆さんそうだと思いますが、私も栗は大好きです。小さい頃は栗と言えば街頭で売っている甘栗か、おせちの栗きんとんだけで、いわゆるあの大ぶりの本格的な栗を茹でて皮を剥いて食べたり、栗ご飯で食べたのは大人になってからです。それも人にやってもらっていましたから、調理工程は全然知りませんでした。
そんな大切な、美味しい栗、楽しみな栗を剥こうとしたら、中に気持ち悪い虫が!あるいは穴からニョロリと出てきた!それは衝撃であり、悔しくもあり、残念でしょう。
もしかしたら、楽しみにしていたこの栗、みんなこうなの?と不安にもなりますよね?
栗虫を見てより少女時代果つ 青山酔鳴
この句の選評に「栗が甘くて美味しいだけに、(虫を見つけたときの)憎しみと気持ち悪さがつのる。掲句は栗虫をはじめて見たあの瞬間から、「私の少女時代は終了したのよ」とうそぶいているのである。栗虫のような取るに足らぬものに一つの人生の転機を迎えたかのような虚言が良いではないか。」と書かれていました。
翻って、大江さんの句につきまして。
作者大江さんは、栗の処理後に、そんな憎き栗虫の浮いた水を捨ててしまったとのこと。おそらくですが、黙って表情も変えずに、静かに捨てたのでしょう。
この時の作者の気持ちは、深まりゆく秋という季節とも相まって、嫌なことや面倒なこと、見たくないこと、考えたくないことなど、思うことは色々とあるのだけれど、全て黙ってさっさと捨ててしまいたい/捨ててしまった、ということではと思いました。
この解釈が合っているかどうかわかりませんが、夏に作りました私の駄句
・眉一つ動かさず蚊を叩きけり
僭越ですが、これが少し共通するところがあるかと思いました。もちろん、大江さんの句のほうが上級です。
長々とすみません。多くを勉強させていただきました。有難うございました。
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