「夏海にため息一つ吐きにけり」の批評
回答者 ハオニー
確かにこの「に」は説明的です
夏海なんて言い方も、「夏の海に」だと字余りになるからと「の」を取ったからでしょう
しかし、私が気になったのはそちらではないのです
なぜため息ひとつ吐きに「けり」と終わらせたのか疑問です
ため息といったら当然吐くものです
わざわざそこに「けり」をつけてまでため息の描写を長々とする必要があったのでしょうか?
私ならそういう作り方はしません
夏の海は、何でも受け止めてくれるような大きな季語だと私はそう思うのです
おそらく、多くの人はそう思ってくれるでしょう
じゃなかったら、悲しいときに海を見にいかないものです
(栃木、群馬、埼玉、長野、山梨、岐阜、滋賀、奈良といった、海と接していない県民の方々に関しては、悲しいときに海を見たくなるものかは分かりませんが)
夏の海でため息をつく、では詩的に美しくありません
夏の海の波間へ私のため息が消えてゆくよ、とした方が美しいです
美しさが皮肉にも悲しさや虚しさを引き立てるものです
ため息のひとつは夏の海へ海へ
このくらい飾らない句の方がよろしいかと思います
「海へ」を繰り返した理由、かぬまっこ様ならばお分かりでしょう
俳句を鑑賞する力が伸びていれば、必ず分かります
ちなみに「麦藁帽太陽の跡海の痕」という名句よりは簡単です
これは本当に飾らない句ですから
点数: 3
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おはようございます。👋😃☀この句をどう思いますか❔
まず、夏海とため息、合わない取り合わせです。あと、助詞の「に」です。夏井先生はプレバトで「に」は説明くさくなると言っていました。