俳句添削道場(投句と批評)

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シヨツピングカートいつぱいの夜長を

作者 げばげば  投稿日

コメント(俳句の意味。悩みどころ)

取り合わせ勝負を2句詠んだので今日ははみ出して。

秋は小腹が空いて、24時間のスーパーに深夜行くのが日課になりがち。リズムを破りスーパーの夜長を満喫。
ショッピングと夜長。
「カート手にシヨツピングする夜長かな」からスタートして、ここまで変わっちゃいました。元の方がいいのかなー。

下五は「よ」「ぞ」とかいろいろありつつ「を」を選択しました。
みなさんご意見よろしくお願いします。

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添削一覧 点数の高い順に並んでいます。

「シヨツピングカートいつぱいの夜長を」の批評

回答者 なおじい

句の評価:
★★★★★

こんにちは。げばげば様、いつもお世話になってます。

拙句、「朝顔や登校の」ご評価ご添削有難うございました。勉強になります。

御句、いつも私などには考えつかない発想で素晴らしいと思います。

少し気になった点をお伝えします。
「ショッピングカートいっぱいの」という措辞が、本当の買い物を表しているなら、やはり不自然さが否めませんでした。そんな夜中にカートいっぱいの買い物をするのはなぜ?秋沙美さんではないですが、おにぎりとかファミチキのように、小腹を満たすちょっとした夜食ならわかりますが。
ただこの措辞が「両手いっぱいの幸せ」のような比喩であったなら、逆にわかるかも、いいかもと思いました。地球上の全ての楽しみを集めなくていい。このカートいっぱいくらいのやすらぎと楽しみがあれば、というような。

私はまず、夜中にカートいっぱいの買い物は不自然と思う気持ちから、「いっぱい」がいらないのではと思い、ご自身のコメントにある、
「カート手にショッピングする夜長かな」
がいいのではと思いました。
しかしこれでは、なんともない情景になってしまうと思い、
「カートを手におにぎり迷う夜長かな」
とさせていただき、大きなカートで小さなおにぎりを2、3個買うおかしみを加えました。ちなみに「おにぎり」は季語ではありませんでした。
ただ、幸福さんの読み方に触れて、そうか、そういう捉え方もあるな、と思いました。幸福さんは、私の拙句にもポジティブな解釈をしてくれました。

とにかく、俳句は解釈の仕方で世界が広がる、それが面白さだなと思いました。げばさん、有難うございました。

点数: 1

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カートから駄菓子零れる夜長かな

回答者 よし造

句の評価:
★★★★★

この句面白いと思ったのは、季語の夜長を部屋の外の景に使っていることです。普通この季語は、室内のことを読むと思います。私には新鮮でした。
なお、下五を、「を」で止めている是非ですが、よとかぞとかということではなく、こういう止め方をするのは、読者に委ねすぎの気がします。
また、無駄のない原句の方がはるかにいい句と思いました。掲句は、思いついただけの句です。

点数: 1

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「シヨツピングカートいつぱいの夜長を」の批評

回答者 卓鐘

句の評価:
★★★★★

〜の〜をによって文法的には、ショッピングカートの中に夜長があるとは読めるのですが、詩語として成立した表現になっているかが僕には悩ましい。問うべきは「いっぱいの」の表現の是非じゃなくショッピングカートに詩の世界において「夜長」が入るかどうか。だと思いました。

少し考察してみました。

・両手いっぱいの幸せ
両手には当然、幸せは入りますね。この両手がそもそも本当の手ではなく、手に余るのような許容としての手ですから。自分の手をこぼれてしまうような幸せは確実に存在します。

・ショッピングカートいっぱいの秋
秋も当然、ショッピングカートをいっぱいにできますね。ショッピングカートには、確かに実体としての秋があります。

ここまでは、詩の世界の映像としては明確で、ちょっと明確過ぎて、詩の世界より常識的な世界ですね。これではつまらないので、もっと詩の世界に深く入った時、どこまでが言葉が詩の世界の映像を描写できるかという挑戦になります。

ショッピングカートにいろんなものを入れてみましょう。ショッピングカートいっぱいのXXXX。

>幸せ
しっかり入りますね。(詩)の映像ははっきりしている。
>寂しさ
これも余裕で入りますね。
>1時間
全然余裕。でも10時間は入りません。なぜなら、1時間買い物を楽しんだから。10時間をおなじ違和感が夜長にはありました。ただ、それはまだ詩の世界の浅瀬にいるからかもしれません。
もうちょっとだけ考えてみたい。
>月夜、午後
うーん。カートに入るかなぁ。。

いっぱいに入っているものを抽象的に置き換える表現自体は普通に理解されやすいですが、そこと結びつかないとなかなか難しい表現な気がします。
夜長の時間という性質をカートに入れようとすると10時間と同じく入らないし、それを楽しむことを入れようとすると、「楽しさ」を入れたときのようにそこには死の世界では楽しさが入っているけど現実世界では具体的なものが入っている。

そして、いつもの如く結論が出せません。詩の世界の映像であるかどうか、自問自答の日々です。(入ると確信できるのであれば、少なくとも一人の世界には入ります。一人が入るということは他の誰かの詩の世界でも入る可能性はあるでしょう。)

取り止めのない話でごめんなさい。

点数: 1

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