「シヨツピングカートいつぱいの夜長を」の批評
回答者 なお
こんにちは。げばげば様、いつもお世話になってます。
拙句、「朝顔や登校の」ご評価ご添削有難うございました。勉強になります。
御句、いつも私などには考えつかない発想で素晴らしいと思います。
少し気になった点をお伝えします。
「ショッピングカートいっぱいの」という措辞が、本当の買い物を表しているなら、やはり不自然さが否めませんでした。そんな夜中にカートいっぱいの買い物をするのはなぜ?秋沙美さんではないですが、おにぎりとかファミチキのように、小腹を満たすちょっとした夜食ならわかりますが。
ただこの措辞が「両手いっぱいの幸せ」のような比喩であったなら、逆にわかるかも、いいかもと思いました。地球上の全ての楽しみを集めなくていい。このカートいっぱいくらいのやすらぎと楽しみがあれば、というような。
私はまず、夜中にカートいっぱいの買い物は不自然と思う気持ちから、「いっぱい」がいらないのではと思い、ご自身のコメントにある、
「カート手にショッピングする夜長かな」
がいいのではと思いました。
しかしこれでは、なんともない情景になってしまうと思い、
「カートを手におにぎり迷う夜長かな」
とさせていただき、大きなカートで小さなおにぎりを2、3個買うおかしみを加えました。ちなみに「おにぎり」は季語ではありませんでした。
ただ、幸福さんの読み方に触れて、そうか、そういう捉え方もあるな、と思いました。幸福さんは、私の拙句にもポジティブな解釈をしてくれました。
とにかく、俳句は解釈の仕方で世界が広がる、それが面白さだなと思いました。げばさん、有難うございました。
点数: 1
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取り合わせ勝負を2句詠んだので今日ははみ出して。
秋は小腹が空いて、24時間のスーパーに深夜行くのが日課になりがち。リズムを破りスーパーの夜長を満喫。
ショッピングと夜長。
「カート手にシヨツピングする夜長かな」からスタートして、ここまで変わっちゃいました。元の方がいいのかなー。
下五は「よ」「ぞ」とかいろいろありつつ「を」を選択しました。
みなさんご意見よろしくお願いします。