「絵手紙に蜜柑の花のあふれけり」の批評
回答者 ハオニー
俳句は神野紗希先生の初心者向けの本を一番頼ったハオニーです
藤田湘子先生の初心者向けの本は難しくて読んでいないです(
ちょっと上手くなるためには、一度出来た句を振り返ってみることが大事なのです
せっかくですので...
絵手紙よ白きみかんの花あまた
この句から見てみましょう
「白き」は不要で合っています
蜜柑の花は基本的に白っぽいです
もし、白井さまの見た蜜柑の花が黒ければ、「黒き蜜柑の花」と書かないといけません
みんな蜜柑の花は白だと思い込んでいますから、「白き」と言うのは野暮です
「あまた」は不要というより、この言葉を入れたらまとめにくくて処理に困るのでしょう
本当に必要な言葉は「絵手紙」と季語「蜜柑の花」です
「あまた」と言わずにたくさんあると表現するなら、「あふれる」という動詞が適しているでしょう
だから
絵手紙に蜜柑の花のあふれけり
としたのでしょう
この形だときちんとまとまっています
きちんとどういう場面なのか、他人でも分かります
しかし、ハオニーはここからが本番です
これはたぶん、プレバトにおける名人クラスの調整です
かなり難しい内容ですが、いずれ理解できる時が来ることを願って書きます
「あふれる」という動詞が安易かもしれません
そして「蜜柑の花」という季語がきちんと活きているかは少し疑問です
下五字余りにして、あえて難しいことやってみます
絵手紙に蜜柑の花の華やぐ朝
とすると、華やいでいるのは絵手紙の中の蜜柑の花だけでなく、実際の蜜柑の花も華やいでいる朝なのだろうと想像しやすくなります
これがもし
絵日記に蜜柑の花の華やぐ朝
だとしたら、季語の鮮度は何とかなるのです
絵手紙はどの季節に出したものとも考えられますが、絵日記に描いた絵なら、「そんなことをした思い出がある」ためきちんと季語は力を発揮してくれます
点数: 3
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