「新しき瘡蓋を剥ぐ八月尽」の批評
回答者 74
こんばんは。いつもお世話になっています。
げばげばさんの精力的な投句になかなか追いつけませんがコメント欄含めて学んでおります。
八月尽、月尽でシリーズですね。
八月という特別な月と夏の終わりをしみじみと思う気持ちとただ8月31日であること両方の意味が上五中七に響きますね。
八月尽で調べたらなんとかさぶたで他の方も詠まれてるようで…しかしげばげばさんの「新しき瘡蓋」はオリジナリティのある措辞になってますね。
しかし、卓鐘さんのコメントのように私も「新しき」には引っかかりを覚えました。何故なのか…終わりとの対比としては良いはずなのですが。新しい瘡蓋、膜になっただけではないですよね、多少は乾いていて剥ぐ動作ができるけど中央付近がまだ新しい皮膚ができてない感じ…うーん、触感を描写できたら生々しくなりそうだとは感じるのですが、瘡蓋を剥いだりしないのでわかりません…(笑)
コメント書きながら気付きました。新しきでふわっと匂わせるのではなく、瘡蓋を剥いで血を流す・傷を抉るような雰囲気を生々しく描写してくれたらしっくり来るなーという印象を抱いたのだと思います。
滲む爪、肉抉り、パッと思いつく描写だとこれじゃない感があるので難しいですね。実体験(のはず)ならそのときの感覚をメモに書き出すと描写の幅が広がりそうですね。
ちょっと引っかかるなーに長々と拘りました、すみません。そのままで句意が伝わる良句だと思います!
点数: 1
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七月尽は止まれの標識でしたが、八月尽も詠んでみよう。
できたてのかさぶたってすぐ剥がしてしまう。まだ熟してない若いのに。剥がすとちょっとした痛みも伴って。でも剥がして。
みなさんご意見よろしくお願いします。