「八月の逢魔時に燃ゆ家路」の批評
回答者 イサク
こんばんは。
「逢魔時に燃ゆ」がありきたりというよりは、「逢魔時」と言ってしまうと、もう夕焼けも終わろうとしているのでは?という時間感覚があります。
「黄昏時」と同じでお互いの顔を認識できにくいほど暗い、西の空には「赤さ」が残る、という時間帯ですので、帰路を燃やすほどの夕焼けは「逢魔時」ではないように思います。
どうでしょう?
句全体では、季語「八月」「逢魔時」「夕焼け」「家路」と、十七音に詰め込み感がありますね。
「逢魔時」「夕焼け」の両立が難しそうなので、「逢魔時」を残すならば「夕焼け」の描写を省いた方がよさそうです。ただ、コメントからは状況は「夕焼け」残しで、「帰路」を省略ですねえ・・・
・八月の逢魔時の赤き空
点数: 1
添削のお礼として、イサクさんの俳句の感想を書いてください >>
バイク通勤で帰宅途中の信号待ちで直線上の地平線の燃えるようなオレンジの空を見て思い付いた1句。
あと、逢魔時って言葉を使ってみたかったのでずっと考えてたってのもあります笑
今はコロナが流行っていますが、そんな中でも仕事をしてパチンコで負けてスイカバー食べてとなんとか平和に生きています。そんな平和に感謝しながら家に帰るのでした。
「逢魔時に燃ゆ」は少々ありきたりだったかなぁ