「吾の俳句見たくもなくてところてん」の批評
回答者 知世
いつもありがとうございます。
俳句は遊ぶ時こそ全力で、慎重に…よく分かりました。
といいつつ「くじびき」の句はどうも脇が甘かったようですね。
既に他の方のコメント欄に書いてますがシャーリー・ジャクスンの短編に影響を受けています。
我々とは違う価値観で生きる人々を詠んだ、言ってしまえばファンタジー俳句です。
意思とは無関係に決まる未来と笑顔の人々との取り合わせ、少なからず不穏さを出せるかと思ったのですが力不足でした。
おそらく私のようにディストピア小説を読み漁っている人々とは、少なくともすんなり世界観を共有できると思うんですよね。
しかしここはそうでない人が大半の場で、そこで発表するために如何に工夫するかといったことは考えていませんでした。
少なくとも「添削道場」でコメントを募っている以上独りよがりではいけませんね…。
でも無季については拘りたいです。
全員白いツナギ着て番号で管理される世界には四季とかないですから(ある作品もあります)
冷たくて水みたいだからでしょうか、夏の印象とは異なり夏の食べ物の句は仄暗い心を詠んだ句が多い気がします。
冷奴とところてん比べるとところてんには多少ユーモアや可愛げがあるように思いますね。
冷奴と自虐の取り合わせは電気の消えた部屋でじっと小鉢を見つめているような印象です。
どちらが良い季語かはきっとイサク様の心境次第ではないかと思いました。
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五月頃のスランプ時に作った自虐句。「冷奴」様の方がいい気がしてきた。
前の句、「融ける」が近いのご指摘ありがとうございます。確かにそうです。
季語からの作句ではやらかしがちです。