「中一の彼女へ渡す染浴衣」の批評
回答者 卓鐘
コメントありがとうございました。
日記にして、そこから説明せずに重要な言葉をとって俳句にしてみる。作り方としては全然悪くないと思いますよ。ただ、俳句としてどうか?と言われると、うーん。35-40点(プレバト という番組の俳句コーナーでいくとぎり「才能無し」と「凡人」の間)くらいじゃないかなぁというところです。
まぁ僕が偉そうに人の句を評価できるほどのものではないんですが、それでもどこか参考になるかもしれないので、なんで、いまいちと思うか書いてみますね。
一言で言うと「詩」がないから。じゃあ、「詩」ってなんだって話ですが、「言葉の発見」だと思うんですね。発見と言っても誰も知らないもの こりゃすげぇ!っていう発見ではなくて、誰もが無意識に認識していることを「言葉」によって再認識させると言うか。確かにそこにはそれがある、言葉にすると、そうなるという小さな発見だと思うんです。特に俳句は、17音しかないからあれやこれやは言えない。なので、みんなが知っているが、言葉としては認知しなかったことを、その良さを知っているけど表現できなかったことを、ちゃんと言葉で浮き上がらせることによって感動を覚えると思うのです。
それが(特に俳句における)「詩」だと。
「中一の彼女へ渡す染浴衣」(ロリコン問題を置いといて)ここに、新たな言葉による発見という「詩」(のかけら)はどこにあるかということになります。
(よく解釈して)中1の彼女へ浴衣渡す青春だねぇ。一緒にお祭りなど行くのかなぁ。という青春の良さというのは確かにありますよ。ただ、そんなことはみんな知っていて、青春時代の彼女との思い出っていいよね。と言われる以上の発見は特にないのです。改めて言葉で表現され直すことによる感動はなく、「うんそうだよねー」という共感だけと言えばいいでしょうか。
どこかに詩を発見してみてください。
例えばですが、「彼女が、浴衣がダメになったと言った」こっちの方が詩があると思いますよ。「あの浴衣もう着れないのと言う君へ」。俳句としての良し悪しは一旦置いといて、彼女にプレゼントあげた。と言う以上の感慨は多少出てませんか?
本当にただのぺぇぺぇが偉そうに講釈垂れてすみません。僕も勉強中の身なので、本当に参考程度に留めておいてもらえれば。
点数: 2
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中学一年の時、同じクラスの彼女へ夏の時に染浴衣をプレゼントした時の事を句にしました。