「ペン習字はずれトボトボ牡丹みに」の批評
回答者 ハオニー
「牡丹」をほとんど詠めていません
これは、ペン習字の抽選に漏れて落ち込んでいる自分自身が主役で牡丹が脇役です
季語が主役にならないとダメです
そして一般的に、俳句は一瞬を切り取る詩です
作者の長い近況報告を詰めこもうとすると、単語を羅列しているだけに見えてしまいます
粋じゃないです
季語と正面から格闘した、勲章となりえる俳句でないと読み手の心には響きません
少し私も考えてみました
慈眼寺の牡丹の零れゆく早朝
点数: 1
添削のお礼として、ハオニーさんの俳句の感想を書いてください >>
4月20日は公民館講座の抽選結果発表日、支所でペン習字の外れを聞いた。
歩いて中央公民館で俳句の全員当選で10回分の千円を払う。
慈眼寺の牡丹は盛りを過ぎ、卯の花とナンジャモンジャの白が見事。
5月10日の初月例会に向けて自主トレに拍車がかかる。