「朝の道踏まないように落とし文」の批評
回答者 卓鐘
「梅雨の雷」の句のコメントありがとうございます!
ちょっと無粋ですが、「何がいいのかわからない!」とのご質問をいただきましたので、自句自解をしらさぎさんだけにこっそりしますね。
結論から言うと良いかどうかは僕にもわかりません(笑)一応いいと自分では思っていますが、それが本当かわからないから、投句しています。。
ただ、どうして「梅雨の雷」と「蝶番錆びたオルゴール」を取り合わせたか、どこが自分がいいと思っているかを無粋ながら説明しますね。
まず、俳句の作り方として、二物衝撃という作り方があります。これは、季語(A)と季語と関係ない別のもの(B)を並べるだけで、そこにひびき合いを求めると言う作り方です。この場合、AとBのイメージが近すぎたり、BがAを説明しすぎていたり、AとBが因果関係がありすぎると、句の世界が広がらないため、良くないとされています。これを季語と近いといいます。一方で、AとBがあまりに関係なさすぎてよくわからないことを季語が遠いといいます。(Aである必然性がないことを季語が動くと言う)
近すぎず、遠すぎず、AとBを響合わせて句の世界を広げること。これが、二物衝撃俳句の奥義です。また人によって、ちょうど良い距離とするかしないか当然ながら評価は分かれます。
前置きが長くなりました。では、私の投稿句ですが、本当は梅雨の雷の音に呼応するかのように、オルゴールがちりっとなった。そんな光景を読みたかったのです。ですが、呼応するオルゴールとしてしまうと因果関係が見えすぎてしまう。別の音を因果関係によって結んでしまって句が広がらない。
そこで、単にオルゴールを並べるだけで、異なった音のひびき合いを求めました。また、単なるオルゴールでなく蝶番の錆びを添えることで、梅雨のイメージと合わせてみました。音だけだと句が広がらないので、錆びの赤のイメージ、梅雨のくらい空のイメージも対比させてみました。
俳句の読み手は、二つものを並べただけで、それぞれの持つ五感を脳内でイメージしてくれます。その時に、2つがなんとなく響き合っている、それぞれだけではなかった世界が構成される、そんな句を作りたいものです。
僕の句も誰かの脳内には、錆びて古いオルゴールが、雷に呼応してちりっとなってくれるそんなことを期待しています。
長くなってごめんなさい。
重ねていいますが、それらの企みが成功しているかしていないかはわからないから投稿しています。
点数: 2
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踏まないようにの表現が当たり前かな?