「紫陽花とは干渉しないマスターか」の批評
回答者 なお
こんにちは。
白南風様、いつも勉強させていただいております。
御句、面白いな、どういう意味だろうとコメント拝読しました。なるほど、と思って私も真似して作ってみました。
紫陽花や何も語らず雨に濡れ
干渉しないマスターのようでしょうか?
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作者 白南風 投稿日
回答者 なお
こんにちは。
白南風様、いつも勉強させていただいております。
御句、面白いな、どういう意味だろうとコメント拝読しました。なるほど、と思って私も真似して作ってみました。
紫陽花や何も語らず雨に濡れ
干渉しないマスターのようでしょうか?
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回答者 卓鐘
わ、わかるんですが、、
感動の軸足がバーのマスターによっているなぁと思ったら、ご本人の目の前にはバーのマスターがいる。「紫陽花」とはといっている割に全く主役に立っていないです。
XXX(季語)とはYYYYYYY(具体的な何か)とした時、XXXが抽象的な時候などの季語であれば、その本意を具体的なYYYYYYで比喩することでその世界を季語の気分が取り巻いていい感じになる場合がありますが。紫陽花という具体的なものを別のものにしてしかもその場に紫陽花がないとなると鮮度が落ちます。なかなかこの型の季語に、具体的な事物を当てはめるのは成功が難しそう。
ただ、ごめんなさい。比喩としても、カラオケの下手なMVを見せられている気分にはなりました。。
点数: 1
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回答者 イサク
おはようございます。
・全体的に詩になっていない感じですね。散文的というか・・・
・「マスター」にもいろいろあるので、この語だけではちんぷんかんぷんかもしれません。
・「干渉しない」・・・比喩の中にありますが、説明的ですね。
・この比喩を思いついて、そこで推敲が停止してしまった感が出ていますね(以前にも同じようなコメントを書いたような・・・?)。
・コメントを読んだら、本当は「バーのマスターは雨を受けとめる紫陽花みたい」という気持ちで作句を始めていますね。途中で無理やりに主従逆転していますね。
点数: 1
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失恋し、バーで大量にお酒を飲んでる女性を想像してみました。
紫陽花は1番多くの雨を受け止めている植物かもしれません。
その雨を涙と考えると、常にそっと側にいるバーのマスターのように見えてきました。
皆さんはどう思いますか。