「切れ字」の批評
回答者 ハオニー
違う気がするところを先に...
金色の佛ぞおはす蕨かな 水原秋桜子
この「す」は使役の助動詞なので、終止形だけではなく連体形も取れます
よって、この句は切れがないと考えられます
感想を
このような使い方での「かな」の成功例がある以上、私はそのやり方は合っていると思います
そこまで否定したように捉えられたのならば、この度は申し訳ございませんでした
これらの先人の句の「かな」の使い方、ハッキリいってバランス取るのが難しいのです
作者はギリギリ成立するところを見極めていたのです
果たして、それと同じことをいったいどれだけの人がやれるだろうか?
どれくらいの読み手が理解してくれるだろうか?
と私は疑問です
ほかにいい型があるのなら、そちらを使えばいいじゃないかというのが私の持論です
だから、私は難易度の高い技法に頼らなくても簡単な方法でやれるということを伝える添削を心がけているのです
季語の傍題に関しての必然性は、だいぶ深く掘っていますが...
自称・名人クラスになら、この「かな」とそれ以外で切れをつくる句でいいと思いますが、そこまで達しているか分からない方に「そのアドバイスするのは違うよね」と思ったのです
点数: 3
添削のお礼として、ハオニーさんの俳句の感想を書いてください >>
おはようございます👋😃☀切れ字の「かな」について考察してみました。
切れ字「かな」を使った場合の途中の切れのない句
🔷オムレツが上手に焼けて落ち葉かな 草間時彦
切れ字「かな」を使っても途中、軽く切れのある句
🔷東大寺/湯屋の空ゆく落花かな 宇佐美魚目
🔷牡丹雪/その夜の妻のにほふかな 石田破郷
🔷金色の佛ぞおはす/蕨かな 水原秋桜子
以上から、切れ字「かな」を使った場合途中に軽く切れが入っても良いと思います。ただ作者の一番感動した言葉に「かな」はつけるべきなのではないかと思います。
以上に則って再度
🔷眠る猫桜しべふるベンチかな
を添削しました。
🔷眠る猫ベンチに揺るる桜かな