「秋刀魚食べ小骨が喉に刺さりけり」の批評
あくさん、こんにちは。
御句の感想と提案句を置かせていただきます。
確かにお名前変わりましたね。以前は◯◯というお名前でしたね、と言っても意味ないですけど。
今回は「厳しくしてください」とのご要望ですのでそのようにさせていただきます。
御句、秋刀魚の小骨が喉に刺さったとのことですが、それがどうしたというのでしょうか?私には何の感動もありません。
あくさんはおそらく大人でしょうから、秋刀魚の小骨が喉に引っかかったくらいでは、特にどうもない、というか、俳句に詠むくらいですから病院に行くまでもない、大したことはないと思うのです。さんまを食べたら美味しかった、と同じくらい、なんということもない句なのですね。
俳句は季語を大切にします。季語を貶めたり、軽く扱ったりするのは好まれません。俳句では蜘蛛でもミミズでも季語なら主役であり、作者は愛情を込めて慈しみます。秋刀魚は秋を代表する味覚であり、その姿は刀のように見事、味わいは深くて私は海外駐在の頃は夢に出てきました。
御句はそうした秋刀魚の魅力を発信することなく、喉に骨が刺さったことだけを伝えて終わっています。
これは、例えばどなたかが、今が旬の美味しい秋刀魚をご馳走しようとして、七輪で炭をおこし、網でこんがりと焼いて、大根おろしとカボス(スダチでも可)を添えて出してくれた。ご丁寧にお醤油までかけ回してくれた。あなたはそれを食べた。相手が「いかがでした?旬の秋刀魚は?」と聞いた。そしてあなたは答える。「はあ、小骨が喉に刺さりました」こういう情景ですよ。
それで提案句ですが、やはり命を投げ打って舌を楽しませてくれた秋刀魚に敬意を表して、美味しかったとも言ってあげませんか?
秋刀魚食べ小骨も味も残りけり
舌に味喉に骨置く焼秋刀魚
このように、骨は仕方ないとしても、味わいも残してあげてはと提案いたします。
私はあくさんのこれまでの句、好きです。特に滝の句ね。私は、投句歴の浅い方には普段はきつい言い方はしませんが、「厳しくしてください」とのご要望ですのであえて申し上げております。ご了解くださいね。
これからもよろしくお願いします。