俳句添削道場(投句と批評)
げばげばさんのランク: 師匠1682段 合計点: 5,164

げばげばさんの俳句添削依頼

最新の投稿順に並んでいます。回答が付いた投稿が先頭に移動します。

中古車犇犇スモッグ濃き埠頭

回答数 : 14

投稿日時:

クレーンを運ぶクレーン昼の虫

回答数 : 4

投稿日時:

優勝の号外に葱つつみけり

回答数 : 16

投稿日時:

スコップに温き土くれ文化の日

回答数 : 12

投稿日時:

椅子のなき運動会の校舎かな

回答数 : 21

投稿日時:

げばげばさんの添削

「潮時の一人静かに去るものを」の批評

添削した俳句: 潮時の一人静かに去るものを

こんにちは。
おっと、去られるのですか?というか俳句をやめられるのですか?え。
俳句はいつでもどこでもできます。もちろんこちらでも。
また心すこやかに俳句が詠める日を願って🙏

点数: 3

「今年また山河の中に残花あり」の批評

添削した俳句: 今年また山河の中に残花あり

こんにちは。
いつも勉強させていただいています。

御句。今年、が季語として用いられていないものとして。感慨の句ですからね。
わたしは俳句をはじめるまで、山河にも残花にも、もちろん咲く花すらにも何も心を動かさない者でしたが、今は
咲く前も、蕾も、五分咲きも、満開も、残花も散る桜も、桜蕊も、葉桜も、大好きです。夏井先生はよく定点観測とおっしゃいますが、同じ場所でも日々変化していて、一年後、また同じ場所で同じ景色を見て、また一年をありがとうと思うて、でも昨年とは少し違う景色と、少し違う自分に気づくのです。
この少しく変化する周辺と少し違う自分に気づくことが、俳句をはじめた自分にうまれた余裕のようなものなのかもしれません。

日々の生活に追われて大変だあとばかり呟いてしまいますが、いくつになってもいくつになっても、少し違う自分に出会うのは楽しみなのかもしれませんね。そんな句に感じました。

点数: 1

「検温のブザーの消えて囀れり」の批評

添削した俳句: 検温のブザーの消えて囀れり

こんにちは。
いつも勉強させていただいています。

俳ポ水曜おめでとうございます(^▽^)/
この句もいいですね。音に音を重ねていくのは結構難しいですが、ブザーのあと囀りが聞こえてくるような感じかな。ブザーが短いので、その前も囀が聞こえていそうだけど、そのときは気になってなかったということは、検温の結果がよかったのかなあ。そういうイメージで捉えました。

点数: 1

「夏近し僕は立派な自閉症」の批評

添削した俳句: 夏近し僕は立派な自閉症

こんにちは。再訪です。諫めるだなんて、私の言葉は私一個人の意見ですから、間違っていることだらけです、何回も同じことを言ってすいません、違うと思うときは是非指摘してくださいね。私はこう思うなんて言うのも、私ってなんぼのもんじゃい?と思いながら書いてるものなので、ネット上に残していくのはとても怖いことではある、その中での発言です。ほんと若輩がすいません。

「鬱王」について、なるほど、そういう想いもありますよね。
「鬱王」についてもとてもセンシティブな言葉だなあ、リスキーな言葉だなと思うのは変わりありません。受け取る方によってはどう伝わるか。
自死文學などもそうですし、音楽でもそうですが、誘発というリスクもありますし、とてもセンシティブだと思います。アビーチーさんが症状のあるときに作った「HOPE THERES SOMEONE」という曲を聞いていても、言葉はわからないのに同じ状況にどんどん誘発されて引き込まれそうになります。あとで歌詞を見てやはりそういう歌だったかと思いました。リスキーではあると思います。

兜子自体轢死していますし、兜子の句を読んでいると惹きこまれていくことが逆に怖いと思う時もあります。
・大雷雨鬱王に会うあさの夢

だけでなく、
・神と医師いずれをえらぶ冬の窓
・帰り花鶴折るうちに折り殺す
・短日はさびし来る夜のおそろしき

実際私も同じような病を抱えているものとしては、こういう句はとても怖くなります。

ただ、一方で惹きこまれていくのは本人の苦しみを本人の言葉として詩に昇華しているからでしょうか。

それぞれにいろいろな状況や度合があるとは思いますが、私の近親者にも障碍のある者がいるという話をしましたね、彼は健脚で山登りが大好きで珈琲を入れるのが上手で、でも就職には大変苦労して自転車には乗れなくて、そして毎日にこにこ笑っていて。彼は自分の障碍のことをその障碍のことばとしては認識していません。彼自身は自分の状況をどういう言葉で表すでしょうか。その言葉にはとても関心がありますし、人の心を打つ詩のことばになるのかもしれないなと思ったりはします。ケントさんのお孫さんはどんな言葉で自分の状況を表すでしょうか。

きっと答えになっていませんね。またも長文失礼しました。

点数: 2

「夏近し僕は立派な自閉症」の批評

添削した俳句: 夏近し僕は立派な自閉症

こんにちは。
いつも勉強させていただいています。

このスレッド、少し繊細なスレッドのように感じました。
人間100%同じ信条であるということはなかなか難しいことで、どんなコメントを書いても、そこは自分と考えが違うぞというところを見つけては揉めたりとかするような世界線に感じるからです。

げば自身も近親に障碍のある者が、とか、自分の仕事柄出会う人々のことや、自分自身の病気のことや、、とここでいろいろ語ることもできるかもしれませんが、この場所が自分語りの場所かどうかも分かりませんし、自分語りの発表を要求する場所かどうかも私にはわかりません。

ここからは俳句論ですが、
何を詠むのもNGがないのが俳句ではあると思う一方で、繊細なテーマを句にするときは、詠み手が思った通りのことが読み手に伝わるわけではない、鑑賞を相手に委ねるタイプの文芸である俳句には少し不向きであると感じるときもあります。
この道場に来て、すぐのころ、俳句に政治的信条を盛り込んだ句を詠んだときに、すぐになおじいさんにたしなめられました。「俳句は詩情を求めていかんとですな、げばさん」という言葉でした。「なんだとー、私の政治信条を(怒)」と思うこともできたのですが、私はなおじいさんの言葉になるほどそりゃそうだなあ。と感じました。読み手の心の湖に少し波立たせるような詩情という句とはかけ離れた政治信条の本位の句だと感じました。そんなことを言ってくれるなおじいさんに感謝もしました。
その後しばらく経って、「異教徒の碧き眼や渡り鳥」という句を詠んだこともありました。そのときも、なおじいさんから、「異教徒の碧き眼」のあたりの表現は大丈夫かい?初読ではどう受け取られるか?げばさんの力量なら詠みたい詩情をもう少しちがう形で届けられるのでは?と言ってくれました。そのときも、ハッとしました。なるほど、自分がこう思う!と思って詠んだ句が自分の手を離れたときに、ぜんぜん違うものとして伝わって、それが意図せず、誰かを傷つけたりすることもあるかもしれないということに気づいたからです。
いずれにしろ、俳句にはNGはないとはいえ、読み手にどう届くかを意識するようになりました。言葉は心の湖を波立たせるものであると同時に、人を悲しませたり傷つけたりする力もあると痛感したからです。

ケントさんの前の句、すぐにコメントにいけずすいませんでした。蜂という季語に私の鑑賞が追っつかず、ケントさんが思っていることとは全く違う句意で堂々めぐりしていたからです。読み手は自由に鑑賞するので、意図通り届かないといろんな思いする方がいるかも、と思って、そう書こうかどうかと迷っているうちに、イサクさんが先にコメントに行ってくれていました。イサクさんの言葉は時にストレートですが、他意のない方だと長い付き合いで私は思っています。私がここまで書いてきた俳句論的なことを言いたかったのではないかと勝手に推察しています。(ちがったらすいません)

誰が先に俳句以外の議論に踏み込んだということは抜きにして、ケントさんが俳句大好きで戻ってこられたのも知ってますし、ケントさんと今後も俳句のそして詩の話をたくさんしていけたらと思っています。

長々と書いてすいません。言葉には気をつけましたが、この文章を不特定多数の方が読んでいると思うので、私にも他意はない、ただ俳句が好きなだけだということをお詫びとして付け加えさせてくださいませ。
こういうときなおじいさんが常駐してるなら、、というところですが、今はお忙しいシーズンですので、若輩が失礼しました。よろしくお願いいたします。

点数: 9

げばげばさんの添削2ページ以降を見る

トップページへ
添削依頼をする!

「私はロボットではありません」にチェックを入れてください。

▼添削依頼された俳句の検索

▼添削と批評(返信)の検索

ページの先頭へ

俳句添削道場の使い方。お問い合わせ

関連コンテンツ