元々島の人さま
丁寧に4話までお読みいただき、またご感想をありがとうございました。そうなんです、こんなに沢山の方に批評をいただけて作者として幸せな限りです。
ご指摘いただいた「冒頭の印象があまりにもシビアで、不安を抱かせる」という点は、以前別の方からご指摘された後、ちょっと心理描写や前置きを挟んだりしてソフトにしたつもりでしたが、まあそれでも強烈ですよね…。
実際、「掴み」として機能していないかもしれないという不安はありつつも、読者に安易な安心感を与えないところから始めたいという思いが強く、あのような構成にしていました。
本作は「バリバリのエンタメ作品」や「なろう系」ではなく、『インタヴュー・ウィズ・ヴァンパイア』、『トーマの心臓』、そして今回ベースになった『ぼくのエリ』のような「雰囲気」を重視した小説を目指していました。
ただ、結果として陰鬱さが前面に出すぎてしまい、作品の本来の魅力を伝えきれなかったのではと、今は反省しています。
とくに、冒頭から差別や不穏な空気が強く出過ぎてしまったことで、「期待」ではなく「不安」のほうが先に立ってしまったというご指摘には、深く納得しています。作品としての「入り口」は、もっと意識的に設計する必要があったと感じています。
また、サマンサの母親(母親の愛人は登場しますが、父親は登場しません)について「真面目だったけど色々あって変な人になった」と感じられたという部分、とても嬉しかったです。とくに母・メアリーの人物像については、そこまで丁寧に読み取っていただいたのは初めてで、正直感動しました。
彼女はアジア系の女性としてカナダで「なめられまい」と必死に努力し、実際に成功した人物です。そのぶん、娘のサマンサにも「自分と同じように戦え」と強く求めてしまう――ある意味、エゴと成功体験に縛られた毒親として描いています。ゆえにサマンサが「得体の知れない存在(ネル)」と関わることも、母にとっては「自分の築いた地位を脅かす行為」として許せないのです。
サマンサが日本で受けたいじめに関してもご指摘の通り、これは「人種差別」とはちょっとズレてますね。
サマンサが「海外出身」だからいじめられてるというよりは「もろ日本人のくせに(見た目はそうでも実際のサマンサの国籍はカナダですが)日本人とは違う価値観を持ったサマンサの態度がクラスメイトたちに『私は海外経験があるかは分からあんたたちとは違う』」と偉ぶってるように見えて、反感を買ってしまうという構図を描きました。
でも、私の見通しの甘さ(書かなくても読者様はわかってくれるはず、といったもの)から以前別の方から「価値観が違うという描写がないのでなぜいじめられてるかがよくわからない」という指摘をされました。
なので、わかりやすく日本のティーンズ女子がやりがちな「連れション」にサマンサが乗らない、という描写を付け足しました。こんなことしたらまあ一軍と呼ばれるような思春期女子はKYだなんだと陰口を叩くだろうな、と。
「集団の中で異質な存在がどう排除されていくか」を描こうとしており、その手段として「いじめ」的な口調や描写をあえて混ぜています。
ただ、その後サマンサと同じハーフである「ジュリアちゃん」が歓迎されてるシーンがあるので読者さまによっては「ますますサマンサがなぜいじめられてるかわからない」と混乱してまうみたいです。それは同じことをしたとしても容姿のいい人は許され、そうでない人は反感を買う…みたいな理不尽はこの世に溢れてるのではないかな、という私の個人的な偏見からです。例としては可愛い子が「ピンクが好き」と言ったら「あなたらしいね!とっても素敵!」と言われるけど、容姿がイマイチな子が「ピンクが好き」と言ったら「あんた、その顔でそんなこと言うの?」と嘲笑されてしまう、と言うように。私の偏見に過ぎませんが。
ただ、結果的にそこ(そこだけではないのは重々承知ですが)が読者にとって陰鬱な印象ばかり残してしまったとしたら、物語の全体像や主題が伝わりづらくなっていたかもしれません。
本作では、登場人物たちを読者を惹きつける「キャラ」というよりは、時代背景や価値観を映す“象徴”として描こうとした部分が多く(ネルに関しては女性読者の恋愛対象となるようにある程度「記号化」がされてますが)その意味では「わかりやすい魅力」よりも、曖昧さやズレを残す構成になってしまったかもしれません。
実のところ、この作品の「どこが魅力なのか」は、作者である私自身もまだはっきりと言語化できていない部分があります。
毎回、読み返しながら気づいたことをその都度ChatGPTに投げてみては、「ああ、そういう見方もあるのか」とハッとしたり、「これは違うかも」と考え直したり。その繰り返しです。
たとえば最近は、「唯一の味方になってくれる存在が、社会からはじかれた弱い存在や“怪物”である」という構図――この物語では“ネル”がまさにそうなのですが、実は昔からフィクションにおいて繰り返し描かれているテーマでは?という話をしていました。
『小公女』や『フランケンシュタイン』のように、「孤独な主人公と、社会に居場所のないもう一人」との関係が生む救済と共依存……。そういったものが、無意識に物語の核にあるのかもしれません。ベースになった『ぼくのエリ』もそうですし。
このような作品でも、深く読み取ってくださった方に出会えたこと、本当に励みになります。
貴重なご意見、心より感謝申し上げます。