「春風のウィンドチャイムを撫でにけり」の批評
回答者 腹井壮
塩豆さん、こんばんわ。ご質問の件ですがこれは文法だけでなく俳句の慣用表現も関係してきます。俳句は17音でなりたつ詞ですので読者には隠された言葉を想像して読み取る暗黙の了解のような物があります。例えば
(私が)様々な事思ひ出す桜かな
霜の墓(を)抱き起こされし時をみたり
塩豆さんの句の場合は
春風の(吹く中)ウインドチャィムを撫でにけり
俳句は常に「yes」で進行して行く詞なので否定しない限りは春風と書いてあればすでに吹いていると解釈されます。そうするとこの句の場合主格がないためさらに
春風の(吹く中で人やその他の生き物が)ウインドチャィム(という楽器を)を撫でにけり
と隠された部分を読み取る人がいてもおかしくないのです。かなり拙い解説で申し訳ないのですがこれをきちんと解説できる人も少ないと思います。これは暗黙の了解というよりむしろ「忖度」に近い気がします。俳句というのはやたらと正しい日本語を要求するくせに急に俳句独自の文法や慣用表現を要求してくるので私もかなり戸惑った時期がありました。また「の」が切れ字だと言う人がいますが俳句というのは今まで学者が積み上げた研究を学術的な根拠なく平気で否定するのです。理系の私からすると理解に苦しみます。再度質問があれば私なりに回答致します。
点数: 1
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またもや春風で一句。
ウィンドチャイムという楽器を春風が揺らす様子を詠みました。