「決意の跡捜すあの日の舞う花に」の批評
回答者 ハオニー
はじめまして
高校を卒業してからそれなりになるのに、近くの高校の卒業式へ行ったハオニーです
桜の花びらが舞う景色に、18歳のときの自分自身の決意を捜しているのですね
実際に見つかるかどうか分からないものを捜すと言い切るところを見ると、詩の基本は分かっていて、なおかつ詩をつくろうとする意志は十分あるように感じます
「決意」は感情のこもった強い言葉です
ならばこれはそのまま活かした方がいいでしょう
しかし「跡捜す」の部分が散漫になっているのです
捜すと言わなくても、探しているように思わせればいいのです
この音数を、どのような決意なのか表現するために用いればいいのです
一番簡単な方法は、字余りにしてでも「十八歳」と言ってしまうのです
十八歳の決意あの日を舞う花に
これだと、作者が十八歳の頃の決意を探しているように読めます
ここで、1音の違いを感じていただこうと思います
十八歳の決意この日を舞う花に
これだと、いま卒業したばかりの高校生の句かもしれないと想像出来るでしょう
俳句では、1音違うだけで意味もニュアンスも変えられます
この違いが分かるようになれば、俳句は一味違った楽しみかたが出来るようになるのです
点数: 2
添削のお礼として、ハオニーさんの俳句の感想を書いてください >>
近所の高校で卒業式があり、ふらりとそこを通りかかったとき、
卒業生たちが桜の木の下で記念撮影をしていました。
そこの光景を見たときに、「そういえば、自分もあんな時代があって、将来を夢見て校門を出たな」って思い返し、そのときに心に誓っていた夢や決意を忘れ、日々流されるように生きている自分の心情を読んでみました。
生まれて初めて俳句を作ってみたのですが、果たしてこれでいいのかどうか、
まったく分からなかったので投句してみた次第です。
よろしくお願い致します。