「亡き祖母の譲りて五光初日の出」の批評
回答者 04422
こんにちは!
コメントありがとうございました。お礼が遅くなり申し訳ございません。
カラオケ良いですね。ご一緒させてください。
御句ですがおばあ様がおくら様を守ってくださっているのですね。
宝塔≪言の刃≫を大切にして添削道場を盛り上げてください。
おくら様のコメントを楽しみにしています。
偶然が重なります。「初日の出」ちょうど一句考えていたところですが、小さな寒い盆地では果たして初日の出に出会えるか心配です(冬は日照時間が極端に少ないのです…。)
点数: 1
添削のお礼として、04422さんの俳句の感想を書いてください >>
こんばんは。
「おくら」です。
僕が「おくら」を名乗る時、「僕は、こういう人間です」という前置きを散々することで、僕が「誰かさん」のサブ垢ではない、ということを主張しました。
ですが、いくらそんな主張をしたところで、【「僕」が、その「誰かさん」のサブ垢に見えてしまう】という事実を、事実として、ありのままに受け止めた時、〈言葉〉の限界性を理解しました。
我々は〈世界〉を認知する際、少なからず〈言葉〉によって、世界を狭い枠組みの中に、押し込めています。
こうあるべきだ、とか、こうなはずがない、とか、なんでこうなってくれないんだ、とか。それは〈我執〉です。
◆七色と誰が決めたか虹の橋
◆黒猫の雪に足跡に真白かな
の二句を通して、〈我〉と〈世界〉と〈言葉〉の関係性を見つめ直した上で、僕は最終的に、鍛えに鍛えた〈言の刃〉を引き出しにしまうことにしました。
〈世界〉はただ眼の前に〈在る〉だけです。とても〈綺麗〉です。
僕が〈鬼〉にならぬよう、護るべき存在として居続けてくれた家族、師、友人たちに心から感謝いたします。
そして、誰より、今も昔も僕を護るべき存在として、大切にしてくれる祖母には、「感謝」という〈言葉〉は最早、意味すらなしません。
ただ、祖母から受け継いだ温かな何かを、今度は僕がみんなに分け与えていく番です。
俳句を続けられるかは、微妙です。
でも、まぁ、たまには…?
って、感じですかね。
それでは、また。