「福寿草香すがすがし雲龍寺」の批評
回答者 ハオニー
雲龍寺が一つだけではないと気がつかなかったハオニーです
その忠言を受け止めたにも関わらず、私は「雲龍寺」を使います
「写経」をさせていただいているお寺に、福寿草に思いを込めて一句詠むのですね
私は寺院には疎いので、「写経」の本質が理解しきれていないかもしれません
理屈っぽい説明的な句を提案している気がします
今回の原句は三段切れと判断しました
「福寿草」と「香すがすがし」が繋がっているようにも見えますが、私は最終的に繋がっていないと解釈しました
「香すがすがし」だけでも映像が一つ生まれるからです
そして、間違いなく「香すがすがし」と「雲龍寺」は切れています
ここを繋ぐなら「香すがすがしき雲龍寺」となります
三段切れは韻が生まれにくく、リズムが悪いため嫌われる傾向にあります
三段切れという技法をするなとは言いませんが、偶然三段切れになったのならば解消しましょう
福寿草/香すがすがし/雲龍寺
福寿草の香すがすがし/雲龍寺
とすれば、確実に三段切れは解消出来ます
しかしそれ以上に「香すがすがし」という表現に疑問があります
つまりそれは「かぐわしい(芳しい、香しい)」でいいのでは?と
「かぐわし」と仮定して「写経」も入れて
福寿草かぐわし/雲龍寺に写経
こちらの句の方が、福寿草の香りと作者様の立ち位置が分かりやすく、無理なく多くの情報が入っていると私は思います
点数: 1
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雲龍寺は私の写経をしている寺です。雲龍寺への気持ちを福寿草に込めました。