「入学の記念写真のセピア色」の批評
回答者 慈雨
再訪です。
ご丁寧な返信、ありがとうございます!
おこがましいなんて考えないでくださいー句歴など関係なくご意見ほしいですし、感想だけでも嬉しいので。
素敵な鑑賞をしてくださってありがとうございました☆
さて、コメントいただいた【近い】について。
ペースを落とすと言いつつ、こういう談義が好きすぎて、失礼します。
(以下、現時点での私の理解です)
俳句でよく耳にする【近い】というのは、「言葉同士の意味が似ている」みたいなニュアンスです。たぶん。
俳句はたった17音というとても短い詩です。そのため、同じ意味の言葉をくり返すのはとても勿体ないんですね。だから【近い】言葉を盛り込むのは敬遠されます。
私の句で言うと「吾」と「細胞」、つまり「私」と「私の細胞」ですので、【近い】ですよね。
だったら「吾」「細胞」どちらか片方でいいんじゃない?その分でもっと他の言葉を入れた方が良いんじゃない?ーーという感じです。
何となく伝わりますかね…。
また、【季語が近い】という言葉も見たことあるんじゃないでしょうか。
たとえばですが、
・春愁や一人ぼっちで石を蹴る
という句があったとします。
これ、季語「春愁」と中七下五「一人ぼっちで石を蹴る」が【近い】感じがしませんか?どっちも憂鬱な雰囲気がありますよね。
つまり「『一人ぼっちで石を蹴る』だけで憂鬱な気持ちが伝わってくるので、季語『春愁』の効果が薄いのでは?」となります。こういうのが、いわゆる【季語が近い】というやつです。
こういう場合は、もっと季語を遠ざけた方が佳い句になりやすいです。
・たんぽぽや一人ぼっちで石を蹴る
周りには綺麗なたんぽぽが咲いて明るい春なのに、私は一人ぼっちだ、みたいな。
取り合わせの句の場合、季語はある程度遠ざけた方が、その力が生きてきやすいです。
とても長くなってしまってごめんなさい。
説明が上手くないので、もしピンと来なくても気にしないでください(笑)。
またよろしくお願いいたします。
(返信不要です)
点数: 1
添削のお礼として、慈雨さんの俳句の感想を書いてください >>


私の小学校の入学記念写真は、まだモノクロでした。
もうだいぶ色褪せています。