「曲水や来し盃も泡一つ」の批評
回答者 気まぐれ亭いるか
再訪です
曲水句へのコメントありがとうございました
うーん、そうですねぇ
比喩を使わずに景のみで情感を表現する
まさに客観写生の極意といった所ですが、まだまだ私には遠い道ですね
そこは諦めずに精進していきます
また、「主観を捨てて疑問を持ち、語の大意や語源を都度調べ、句の構造を分析する事」
いやぁ~、耳に痛いです
一応、都度調べてはいるのですがまだまだ色々と浅いですね
上位の壁を破るためにもここは継続して勉強していかなければいけませんね
少し時間がかかってしまうかもしれませんが、お付き合いいただけると幸いです
以上、今後ともビシバシご指導よろしくお願いします
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曲水の宴は実際には行った事はありません。
起源は中国での禊(みそぎ)だった様です。そこから詠んでみましたが、
このお題、本当に難しいですね。日本では宮廷行事でしたので、
雅さに引っ張られてそのまま詠んだら即類想の危険性が高いので(苦笑)
盃が流れてきた水辺だけでく、盃の酒にも泡がある。
「泡」は古来、儚さ(泡沫)の象徴ですが、禊の場においては
「穢れが形となったもの」とも解釈できます。そこから、以下のどちらに
解釈いただいても良いですよ、という開き(余白)を入れてみました。
・不吉の解釈: 盃の中に残った最後の一つの泡が、自分の逃れられない宿命
(あるいは隠した穢れ)に見える。
・吉祥の解釈: その泡さえ弾ければ、全てが清まるという予兆。