「白纏う富士の頂厚衣かな」の批評
回答者 イサク
こんにちは。はじめまして。
俳句は楽しく詠めばよいとおもいますので、このままでもよいと思いますが、
コメントを見るに、正直に伝えてほしい気持ちのようですね。
ということで、いくつか。
◆御句は、説明がなかった場合
「冬の富士山頂で厚着をしている人間の句」
と読み解けてしまいます。
冬の富士山頂!命がけの冬山登山です。
なぜそう読み解けてしまうかというと・・・
この句の中で唯一の季語は「厚着」(冬の季語)。人間が厚着している姿(あるいはこれから厚着しようとする姿)を現します。つまり、自分が厚着しているか、目の前に厚着の人がいる状況を表します。(「犬の厚着」など、寒さを避ける意味であれば、動物でも使えなくはないと思います)
なので「白(雪?を)纏う富士の頂(にいる人が)厚衣(している)かな」という句意に捉えてしまうわけです。
◆「富士が白いものを厚着している」という擬人化の比喩、という内容を狙っている、とコメントにありました。
その意味の場合「厚着」の人が見えているわけではなくなり、【季語がない】(あるいは、季語が比喩なので季語の意味がとても薄い)ということになります。
一般論ですが、季語は「その場にあってこそ季節を表す」ので、比喩や想像だと季語の力がとてつもなく弱まります。
(例:【桜の花のように明るい人】の「桜の花」は比喩で、春の季語になりません)
◆俳句というものは、「富士山がありきたり」なのではなく、「(何を詠んだ場合も)ありきたりな表現をするとありきたりになる」と思っていただければ・・・と思います。
御句の場合「白纏う」という言い回しや、「雪で厚着をしている」という擬人化が、どこかで聞いたような表現で、ありきたりに感じやすいとは思います。
(とはいえ、富士山は過去数多く俳句に詠まれており、独自性を出すのが難しい素材ではあります)
ひとまず「どこかで聞いたような言い回し」は避けて、できるだけ目の前の光景を実直に詠むことが、俳句の初心者のコツのようです。
そして、それに見合う季語を探すのも俳句の楽しみのひとつです。
たとえば
・北風や富士は真白に厚着して
明確な冬の季語「北風」を置いて、「厚着」を完全に比喩としてみました。
これも「ありきたりな俳句」ではありますが、少し風景を解釈しやすくなったのではないでしょうか。
楽しく詠むのが第一だと思います。
ぜひ続けてください。
点数: 2
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興味本位で俳句を書いてみました
富士山がかかわるとありきたりな俳句になってしまうんじゃないかと思っていて自分なりには工夫して書いたつもりなんですけどありきたりだったらありきたりと言ってもらいたいです
富士山の頂上に雪が降り積もっている状態と人間が厚着している姿を比喩表現することでより一層冬の訪れを感じることができるかなという感じです