「巣籠りの飛べぬ子達や引きこもり」の批評
小沼天道さま、こんばんは。
御句拝読しました。すみません、ちょっと辛口なコメントになりそうです。
まず最初に、うるさいことを言うようですが、こういったセンシティブなテーマで句を詠まれる際は、レッテル張りになっていないか、当事者の方が見た場合に傷ついたり不快な思いをしないかどうか、十分に注意された方がいいと思います。
個人的には、引きこもりはその人にとって必要な防衛反応であり休息期間と認識しています(問題なし、という意味ではないですが)。
俳句
としては、「子達」という言葉はふつう鳥に対しては使いませんので、人間のことだろうと鑑賞しました。
つまり「引きこもりで飛べない子どもたちは、まるで巣籠りをしているようだ」という意味に見えます。季語
が比喩として使われているため、季語としての力が弱いように感じました。
「いやいや、実際に巣の中に小鳥がいる景色を詠んだんだ」ということなら、誤読のないようにしたいですね。
その他、「飛べぬ」と「引きこもり」の重複感、「巣籠り」と「引きこもり」の取り合わせは類想どまん中ーーといった点が気になるところです。
最初に書いた理由から、提案句はやめておきますね。
厳しめなコメントになってしまってすみません。
またよろしくお願いいたします。
添削のお礼として、慈雨さんの俳句の感想を書いてください >>
巣籠りの小鳥達・・ってこれから飛ぶ・・はずですよね。
引きこもりの人・・特に子供たちも、これから飛ぶ・・はずだな~って句です。