「春を待つ木管楽器の息吹きかな」の批評
回答者 頓
いるかさん、お早うございます!
頓です!
早速にて…。
作句に当たってのコメント、「木管楽器の柔らかな音色がまるで樹木からの芽吹きを待つ息吹きかのように鳴っている」(後段の意味が判然としませんが)、拝読致しました。
御句の意味合い、ハッキリと申しますと、よく分かりません。
何点かありますが、長くなるので、二点のみ!
一点目!
何故、木管楽器なのか、素朴な疑問を抱きます。
ヴィバルディの「四季」、中でも「春」は殊に有名ですが、このヴィバルディの「四季」の演奏で著名な少人数の合奏団は、チェンバロを除き、あとは全て弦楽器で演奏しております。かの演奏には、クラッシックに然程詳しくない私でも、春うららの世界に漂ってしまいます。
また、木管楽器と言いながら、フルート、ピッコロ、サクスフォンなど、木製でない木管楽器も結構あるのも事実です。
コメントから、木々からの芽吹きを待つ春の息吹、それを木管楽器として捉えられたのでしょうか?
擬人化するならば、私には、殆どの人と同じく、全楽器が春の訪れを待っている、そのようにも思うのですが…。
あくまでも表現の自由、個々人の好み・嗜好もあります。ながら、私は、ここは木管楽器に限定すべきではないと思います。
二点目!
季語です!「春を待つ」、擬人化した上での動詞の季語は難しい、と思います。この点は、慈雨様、仰せのとおりかと…。「立春」「春風」「春近し」「春隣」「春まぢか」「明日の春」等々、他にあろうか思います。要検討かと思いますが…。
「春近し息吹流るるシンフォニー」
即吟の駄句ですが、句意からは遠くなりましたが、楽器の種別に拘らず、ここは「音楽」全体でお詠みされては如何でしょうか?
以上、参考迄に…。
点数: 0
木管楽器の柔らかな音色がまるで樹木からの芽吹きを待つ息吹きかのように鳴っている