「嫁舅狭き日向の譲り合い」の批評
回答者 なお
東野宗孝さん、こんにちは。
御句拝読しました。こんなにきっちりとコメントを添えてくださっていたのにすみません、見逃していました。
姑は「しゅうとめ」で、妻から見れば夫の母、舅は「しゅうと」で、妻から見れば夫の父を指すものだと思っていました。確かにそれは間違いないのですが、夫の母を「おしゅうとめさん」ではなく「おしゅうとさん」と言うのを若い頃から聞いていてたので、この度、ちゃんと調べてみました。そうしたらやはり、「おしゅうとめさん」のことを「おしゅうとさん」と呼ぶこともあるようですね。
そこで御句に提案ですが、まず、
嫁姑と書けば、誰もがよめしゅうとめと読んで、上五の字余りと思うと思います。意味的には、一般には仲良くないかなぁと思うでしょうけど、実は仲がいいんです、というのは微笑ましいです。
嫁舅と書けば、誰もがよめしゅうとと読んで、別に仲が悪いとは思わないでしょう。逆に、夫の父は息子の嫁に優しいのでは?
どちらをどう読むかで、共感を呼んだり、諧謔味が出たりしますよね。
・嫁しゅうと笑顔で日向取り合えり
ただ、「日向」だけでは、私の歳時記では季語ではないので、「日向ぼっこ」にしたいです。
・嫁しゅうと猫を挟みて日向ぼこ
これは仲がいいのか悪いのか(笑)?ご想像にお任せします!
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・一般的には犬猿の仲と言われがちな者同士ですが、こちらは仲が良くて、相手を気遣って限られた場所を譲り合っている、そんな微笑ましい情景を詠んでみました。
・意味からすると、「嫁姑」の方が良いのですが、声に出だしてみると「嫁舅」の方が、しまった感じがします。
やはり、五七五では上五の五音が選ばれれているかと、思ったりします。
・ただ、文字で見ると「舅」より「姑」の方が、合っている様に感じます。
・「日向の譲り合い」では、散文的な感じがしますが、如何なものなのでしょうか?