「裏山で松茸狩りや爺笑う」の批評
回答者 慈雨
餡ころ餅さま、こんばんは。
あらためて、素敵な場所にお住まいですねー。
また煩わしく感じられるかもしれませんが、お許しください。
「や」は肯定的な詠嘆を表す切れ字ですので、「わー松茸狩りだぁ!」という喜びの言葉という解釈になると思います。
普通に読めば「裏山で松茸狩りに来たぞー!横でお爺さんも楽しそうに笑っているなぁ」という句意になるかと。コメントと真逆の句になっていますが、それで大丈夫でしょうか?
(以下は余談ですので、無視して頂いても構いません)
この間の一連の句を拝見して、芋煮会・松茸・秋刀魚…と何か餡ころ餅さまは「自分の好きじゃない季語で俳句
を作ろう」みたいなこだわりをお持ちなのでしょうか?
ご存知のように俳句は、季語を主役に季節が移ろう感慨を詠む詩歌です。季語を嘲笑するような句はやはり評価は低くなりますし、秋刀魚の句などはむしろ川柳にした方がいいようにも感じます。
「私は人の評価など気にせず、自分で好きな句を詠みたいだけ」ということなら自由かと思いますが、もし「人に感動を与える句を詠みたい」ということでしたら、嫌いなものより好きなもの、感動したものを詠まれた方がいいような気はします(当然、ここは道場ですので皆様そういう視点でコメントされます)。
余計なことでしたら失礼しました。
点数: 3
添削のお礼として、慈雨さんの俳句の感想を書いてください >>
我が家では松茸は贅沢品ではない。従って有り難くもない。
松茸より椎茸の傘に挽き肉を詰めて焼いたのが子らの好み。お弁当にもなる。私も松茸が美味とは思わない。