「雛菊や誰が植ゑしや風にゆれ」の批評
回答者 みつかづ
こんばんは。貴句、拝読しました。
以前と比べますと、かなり整ったのではないでしょうか。
「雛菊」と頭にありますので、「風に」とあれば揺れています。
「暴風」とあれば散っています。「火に」とあれば燃えています。
イサクさんが仰られていた「説明」には、この様なものも含まれています。
「その部分は書かなくても読者は分かりますよ」という部分です。
「手に揺れて」なら、ちょっとはマシ位かもしれませんが。
他には、この句の三段切れ(上五で切れて、更に中七でも切れて下五に行く)は、是非があるかもしれませんね。
と申しますのは三段切れを成功させるのは難しく、上五+中七+下五の独立した3つを足し合わせて1つの情景が成立していたり、1つの感情が強調されていないと、読者は季語とその他の部分の感情的な繋がりや風景的な繋がりが想像しにくく、作者の感動がどの部分にあるのか分かりにくいのです。
ですので、先輩方もご自身の作品でできるだけ三段切れを避けようとなさっていますし、私もそうです。
(仕方なくなってしまう場合はありますが)
例えば、「雛菊は誰植ゑたるか風の音」とでもやれば三段切れは解消できます。
(あくまで一例です)
後1点アドバイス。
「俳句(の中)で説明する」のは嫌われます。そして、通常は「自句自解」(自分の句を自分で解説する事)も嫌われます。
ですが、このサイトにおいてはしっかり「自句自解」なさってくださいね。
と申しますのは「添削道場」ですので、作者の思いと句に乖離がある場合に足りない言葉を「添」え、多過ぎれば「削」る。それが「添削」だからです。
作者の思い(句の意味)がしっかり書かれていないと、改作はできても添削なんてできる訳ないのです。「どれだけ乖離してるか」が分かりませんので。
「俳句で説明」なさるのではなく、「俳句を説明」なさってほしいと私は思います。
点数: 1
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マンションの庭に気が付いたら雛菊が咲いていました。