禾すなはち登る歌垣子の刻で
回答者 維持自足
こんばんは。
この句にはリアリティが乏しいところ、難しそうなことばを使ってみたくて、想像で詠んだ感じがするところが気になります。総じて、若い男女が飲み食いするのはいいのですが、それが豊作への感謝のしるしであるという景として表現しきれていないように思えます。
稲架立てて隠す歌垣夜もすがら
点数: 1
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作者 感じ 投稿日
回答者 維持自足
こんばんは。
この句にはリアリティが乏しいところ、難しそうなことばを使ってみたくて、想像で詠んだ感じがするところが気になります。総じて、若い男女が飲み食いするのはいいのですが、それが豊作への感謝のしるしであるという景として表現しきれていないように思えます。
稲架立てて隠す歌垣夜もすがら
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回答者 コウ
感じ様
いつもありがとうございます。
天の川の句にも想像を膨らませて頂きありがとうございます。
ですが、私としてはもっと純粋に
幼い初恋を思い読んだつもりで
会えるはずがないのに会えたみたいな感じです😉
御句、私にはとても難しいです。
季語も初めて知りましたし
「歌垣」という措辞も
いろいろチャレンジされて
高みを目指しているのですね🤔
また、よろしくお願い致します。
点数: 3
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回答者 打浪泳人
感じさん、よろしくお願いします。少し感想を述べます。<禾すなはち登る句集買ってみる> と <禾すなはち登る歌垣子の刻で>、わたしは前者の句に詩を感じます。後者の句は描写よりも説明に近い表現になっているような気がします。前者の句には「予感のニュアンス」があるのではないでしょうか。わたしの現在の理解では、俳句における詩性って、予感のようなものなのかなあと。日下野由季さんの句に<あらたなる風てのひらの空蝉に>という句があります。この句の感じが、俳句における詩性なのかなあと。それでは、また。(日下野由季さんは第42回俳人協会新人賞受賞者)
点数: 2
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優れた添削・批評は日本俳句研究会の記事として、転載、引用させていただく場合がございます。ご了承ください。
「禾すなはち登る」=「いねすなはちみのる」=「いねのみのったことよ」ぐらいの意味。
「歌垣」=うたがき=若い男女があつまり、呑んで食べて、、、
「子の刻」=深夜12時を挟んで前後二時間
・季語と近いと思います。一物句として。しかし、これに「詩」があるか。
練習として。よろしくお願いします。