「梅雨走る寂しさ連れて晩夏へと」の批評
回答者 イサク
こんにちは。
まずはコメントから。
「梅雨は嫌われ者」誰から聞いたかわかりませんが、あらゆる季節を愛でるのが俳人です。実際に梅雨の長雨でダムに水が溜まらなければ、7~8月は大変なことになりますし。
「悪い天気はない。あるのは自分に都合のいい天気、都合の悪い天気」
で、
この句は「梅雨」が終わって晩夏になるという説明を、「梅雨が嫌われている」という前提で、擬人化を使って説明しているということでしょうか?
◆そもそも、非常に意味がわかりにくい・・
季語が「梅雨」「晩夏」とふたつあり、かたや「梅雨」は擬人化され、かたや「晩夏へと」とゴールにされて、目の前にいずれの風景も見いだせず・・
◆「梅雨の走り」「走り梅雨」という季語があり、これは梅雨に入る前の初夏の雨のことです。
ので、「梅雨走る」「晩夏へと」と言われて、いつ?と混乱しました。
◆中七の「寂しさ連れて」も非常に気になります。
「梅雨が嫌われている」と日本中が思っている、という前提ならば、「寂しさ」と言わなくてもいいと思いますし、「梅雨が嫌われている」という前提がないのであれば、なぜ「寂しさ」が出てくるのかわからないかと・・
俳句に大切な「季節を愛でる」を一度考えてみて下さい。
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梅雨は嫌われ者だと聞いたので寂しく夏の終わりに消えていく様子を