「鳥雲に入るダブルソファの窪みよ」の批評
回答者 森本可南
再訪です。忘れてました。
窪みよのよは、俳句の内容の想像から、詠嘆といわれるもの。
終助詞です。
文の最後に使うものです。
私も使ったことがないので、大先輩に聞かれた方がよいかと思います。
点数: 1
添削のお礼として、森本可南さんの俳句の感想を書いてください >>
作者 感じ 投稿日
回答者 森本可南
再訪です。忘れてました。
窪みよのよは、俳句の内容の想像から、詠嘆といわれるもの。
終助詞です。
文の最後に使うものです。
私も使ったことがないので、大先輩に聞かれた方がよいかと思います。
点数: 1
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回答者 森本可南
岩元さん、添削ありがとうございます。
しかし、かこさんが言われたように、私の句も岩元さんの添削の句も映像が、見えないのです。ごめんなさいm(_ _;)m
そして、ありがとうございます。
御句。ダブルソファの窪みから、誰かが、家をでていって、窪み
だけ、残った。寂しい。というふうに捉えましたが、真相は、どうなんでしょうか?
ちょっと、伝わりにくいです。
映像は、ソファの窪みだけなのですから。
もう少し、具体性のある、言葉は、なかったのでしょうか?
読みては、考察するしかありません。季語が主役なので、どうしても、別れや旅だちを想像してしまいます。そして、できればリズムも欲しいです。
点数: 1
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「窪み」は素直に「窪み」としました。
あと、最後の「よ」、このような使い方してよいのでしょうか。
よろしくお願いします。