「曙光あぶ浜辺に降りし冴ゆる空」の批評
回答者 独楽爺
はじめまして。
御句、ほとんど空と大気の描写に終始していると思います。
浜辺の波とか砂に目線を移して見ては如何ですか。「あぶ」と「降りし」前後の関係から言わなくてもいい言葉と思います。
”冴ゆる空夜明けの浜の砂を踏み
ご参考までに。
点数: 1
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作者 くまた 投稿日
回答者 独楽爺
はじめまして。
御句、ほとんど空と大気の描写に終始していると思います。
浜辺の波とか砂に目線を移して見ては如何ですか。「あぶ」と「降りし」前後の関係から言わなくてもいい言葉と思います。
”冴ゆる空夜明けの浜の砂を踏み
ご参考までに。
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回答者 イサク
こんばんは。はじめまして。
まずかぬまっこ様の言う「複数季語」について。
俳句には基本的に季語がひとつ、というのはご存じだと思います。
久間田様の前の句は「月」と「霜夜」と、季語がふたつありました。
なのでかぬまっこ様もそれを生かしたまま「月光」「霜夜」季語をふたつ入れていました。
季語がふたつというのは絶対にダメ、ではないのですが、上級者が狙って使ってなんとか形にできるという高度なテクニックで、基本的には俳句を作る練習の際は避けた方がいいです。
で、今回の句です。
文法的に変な形になっていますので、解説します。
「曙光あぶ」で終止形。一旦切れます。
「浜辺に降りし」のところ「降りし」が過去の連体形です。で、次が季語の「冴ゆる空」なので、「冴える空が浜辺に降りた」という意味になります。
全体で
「曙光を浴びる(現在形)、冴ゆる空が浜辺に降りた(過去形)」というなんだかよくわからない意味になっています。
俳句というのはいろいろなテクニックがありますが、まずは意味が通じないと受け取ってもらえないので、整理しましょう。
◆まず、曙光を浴びたのは何でしょうか?「曙光を浴びる浜辺」と言いたいのなら「曙光あぶ」では終止形で切れてしまいますので「曙光あぶる浜辺」ですね。
◆浜辺に降りたのは自分でしょうか?「降りし冴ゆる空」では、「(冴える)空が浜辺に降りた」という意味になってしまいます。上で書いた通り「降りし」が過去の助動詞の連体形だからです。なのでここは終止形の形にしましょう。
という二か所を直した提案の句です。
・曙光あぶる浜辺に降りぬ冴ゆる空 (上六の字余り)
で意味は通じますが、なんだか動詞がいっぱいあってややこしいですね。
前半は「曙光の浜辺」で意味が通じそう。
中盤は「降りる」という動作が必要かどうか、検討してもいいかもです。
下五は「冴ゆる空」、浜辺から急に空を見上げるという視線移動が急な感じがします。また、空が寒々と澄んでいるという季語ですが、最初に「曙光」と空のことを言っているために、最初と最後で言っていることが違って気持ち悪い感じもあります。この季語「冴ゆる空」も検討してもいいと思います。
整理すると、もう少し別の風景を足すことも可能ですよ。
・燃え上がる曙光の浜辺十二月
点数: 2
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かぬまっこさんこんばんは。添削ありがとうございました。
月光にさそわれ出づる霜夜かな
ステキな句ですね。勉強になります。ただ
二重季語なりがどう言う事か分かりません。
初心者なのもで。申し訳ありません。
宜しければ解説お願い致します。