「賜りし命重たし冬の夜」の批評
回答者 めでかや
友也さん、こんにちは。
既読スルーへのコメントありがとうございます。
実は私が俳句を始めたきっかけは実父にあるのです。
数年前から緑内障が原因で全盲になってしまいましたがその父の趣味が俳句でして、昔みた光景を思い出しながら詠んでいるようです。
そんな父も、とても悲しいことですがよく命のことを口にするのです。
そんな時に私は『出来ないことを言っても仕方ない、出来ることを考えよう!』って。
帰省した時に父の詠んだ句の感想を話すとそれだけで嬉しそうな顔をするのです。
だから、俳句を始めたって感じですかね。
俳句ってレベルに差はあれ、誰にでも出来る趣味だと思うんです。
私もこれから定年を迎えますが、ずっと続けられる趣味の一つとして続けて行きたいと思っています。
そしてここにはたくさんの仲間もおりますから・・・本当にありがたいことです。
今後ともよろしくお願い致します。
点数: 1
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すみません。私が先に投稿した2句は、とてもコメントをいただけるような内容の句ではありませんでした。にも関わらず、コメントを頂けたことに感謝でしかありません。
マカオの友人のこともあって、神から賜った自らの命について考えることが多くなりました。私は障害と病気のせいで動けない、働けない、稼げないことに苦しんできましたが、なんとか今日まで生き延びてきました。
私は友人に対して、酒をやめるよう、病院に行くように伝え、そして神は彼を愛していること、死んでも楽になれないことなどを伝え続けてきました。しかしその訴えは彼に届かず、LINEの既読がつかなくなりました。
生きていて欲しいです。12月に東京に行って、東日本を電車でまわるから、名古屋の友也さんのところにも行くと言った約束を守って欲しいです。日本語と英語と中国語が流暢なら、日本でいくらでも仕事あるから来なよって私が言って、彼もぜひそうしたいって言っていたのに。
すみません。こんな句を投稿し続けても、コメントなどまず付かないとは思うのですが、今はこんな句しか作れないようです。私は彼に対してやれることはしたと思うので、全てを神にお委ねしようと思います。神から賜りし命は、本当に重たいと思います。それを奪う権利はたとえ自分の命であってもないと思います。私は障害と病気で苦しみ。将来の不安を抱えていますが、生きることを選びます。