「秋濤や我武者羅行き来シャトルラン」の批評
回答者 イサク
こんばんは。
こちら、配合ではなく、別の点で問題が発生しています。特に中七。
◆「我武者羅」「行き来」どっちも「シャトルラン」を強調して説明しているだけのように感じますね。
特に「行き来」は不要でしょうね、「シャトルラン」ならば。
もっと句の受け手を信用して、説明を減らした方がよいと思います。
◆「秋濤」で秋の海の風景。これは夏の暑苦しく賑やかな海でもなく、冬の波浪でもなく、冬の静まり返った暗い海でもない、という秋の風景です。
海は比較的おだやか。
なぜ、この季語を選んだのか?という気がします。単なる風景っぽいのですが、どうなのでしょうか?
「シャトルラン」の厳しさを「我武者羅」「行き来」と説明するのではなく、それを季語に託して、あと七文字を他の描写に使うべきかと思います。
・秋時雨止まず海辺のシャトルラン
・シャトルランの学生の息盆の波
それと、前の句のことがコメントにありますので、念のため補足。
秋の季語「稲妻」は稲光・雷光の季語で、あまり音の成分を含みません。
だから前の句は【二物の聴覚重なりにはあまりなっていません】。
音の成分を含む場合「雷」という言葉になります。
つまり音を主として使いたいならば季語「秋の雷」になります。
なので私の鑑賞は「朝から街で稲妻が光っている」だったのですよ・・・
歳時記と仲良くなりましょう!!
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基本四型で写生句/取り合わせを練習です
ただ、本練習は継続していくものとしてここでの記載はこれで最後にしようかと思います
また、句意もよほど頓珍漢な句もなくなってきた(と信じたい)ので省略します
本句内の言葉について補足しますとシャトルランは一定距離を一定の休憩時間を挟んで何回も往復するかなりキツイ反復走練習です
自分の世代には身体能力測定にも取り入れられてましたが一応
ただ、本句は前句より前に作句したものなので少し配合弱めですね、、
前句の「稲妻」句のコメントありがとうございました
あの程度二物を離しても独りよがりにならずに内容をとって鑑賞していただけるものと良い経験になりました
ただ、まだまだ語順による印象の違いや二物の聴覚重なりによるうるささ等で細部に修行の余地あり、なのはいつも通りですね(汗
これからも精進いたしますのでよろしくお願いします