「秋雲や人数分の伝統茶」の批評
回答者 なお
友也さん、こんにちは。
御句拝読しました。
イサクさんより先にコメントしてよろしいでしょうか(笑)?
御句、想像の、余地を残しているというより、逆な、これでは説明不足ではないでしょうか?
と言いますのは、お茶であれ料理であれ、提供されるのは人数分が普通です。これが足りないとか一つ多いとかだとドラマや詩が生まれるのだと思いますが、人数分ですよね?
想像が生まれません。
例えば、
・秋雲や一人ひとりにお茶と菓子
あまり上手くはないですが、これならまだ・・・いや、これではダメだ。
・秋雲に誘はれ異国の伝統茶
季語についてはイサクさんやげばさんにお任せします。よろしくお願いします。
点数: 1
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このページに来てくださり、心から感謝します。初秋になったとはいえ暑い日が続いておりますが、どうぞご自愛ください。そして素敵なお盆休みをお過ごしください。
この句はソウルの仁寺洞(インサドン)に行った時に、日本人の大学生グループに声をかけられて一緒に柚子茶などの韓国伝統茶を飲み、韓菓を食べた時のエピソードを句にしたものです。
イサクさん、いつも添削を本当にありがとうございます。俳句を作る励みとなっております。今回の句は「人数分の伝統茶」としか言ってないので「想像の余地」を残しているのではと思うのですがいかがでしょうか。
今回の句で気がかりなのが、季語の選択が適切かと言うことです。秋雲は「澄んだ秋の蒼穹に浮かんでは消える雲のことをいいます。秋の白い雲は、巻積雲や鱗雲などのように印象的でくっきりとしています」とのことだったので、旅先で飲んでる伝統茶と組み合わせると面白いのではと思い詠んでみました。
【季語の力を借りながら十七音で『詩』を作るにはどうするか】
これを本当に意識していこうと思います。これまで作った俳句がありますが、全て見直して、もしくはボツにします。「俳句の型・その1」で、「季語と内容の距離」を離して、「季語の力」を信じて、「想像の余地」を残して説明句にならないように気をつけようと思います。
批評・添削していただければ幸いです。よろしくお願い致します。今日も惜しみない祝福がありますように。そしてさらなるご健勝とご健吟を心よりお祈り致します。私も至らない点が多いですが、精進して参ります。