「黄茶緑ひまわりこれで描けるなり」の批評
回答者 イサク
こんばんは。
この三色でひまわりが描ける、と言いたい!という、ちょっと自己主張が見える句だと思います。
「描ける」というのは理屈なので、そこにこだわらずに「この三色でできている」と言えば、ひまわりの観察の句になると思うのですが。
あと「黃茶緑」という詰め込みが、面白いと思われるか無理があると思われるか、でしょうか。
・ひまわりを黄と茶と緑にて描く
点数: 1
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作者 しゅうこう 投稿日
回答者 イサク
こんばんは。
この三色でひまわりが描ける、と言いたい!という、ちょっと自己主張が見える句だと思います。
「描ける」というのは理屈なので、そこにこだわらずに「この三色でできている」と言えば、ひまわりの観察の句になると思うのですが。
あと「黃茶緑」という詰め込みが、面白いと思われるか無理があると思われるか、でしょうか。
・ひまわりを黄と茶と緑にて描く
点数: 1
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回答者 げばげば
こんにちは。
いつも勉強させていただいています。
御句。下五の描けるのである、という着地が報告っぽい感じになるので、
ひまはり高し三色の絵具溶く
755ですが、こんな感じで色は想像してもらうとか。これで説明ではなく映像に持っていけそうな気がしますがいかがでしょうか。
点数: 1
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優れた添削・批評は日本俳句研究会の記事として、転載、引用させていただく場合がございます。ご了承ください。
お題の「ひまわり」で詠んでみました。
向日葵の構成要素って3色だよな、と。下五「出来る」も考えましたが、より具体的な言葉にしました。上五は茶黄緑だと「(茶)きみどり」と伝わるかな?と一色づつを伝えらそうなこの並びにしました。