「窓辺より束の間の虹眺め入る」の批評
回答者 なおじい
さつきさん、こんにちは。
御句拝読しました。がむしゃらにお作りになること、それはいいことです。うらやましいです。私もがむしゃらに作りたいですが、浮かんできません。寂しい限りです。
たしかにさつきさんの投句数は多いですね。ご立派だと思います。
しかし、多作も検証があってこそ生きると思いますので、一つ一つ振り返り、たまにはコメントをくれた方々に対してお返しになると、これまた力になると思いますよ。
さて御句ですが、先のイサクさんとコメントが似てしまうのですが、ちょっと内容が薄いかと思います。
どういうことかと言いますと、まず「窓辺より」。屋外でなければ、窓辺でなければ虹は見えません。また、なぜ窓辺にいるかは語られていません。
「束の間の虹」。虹は大体、「ねえねえ虹が出ているよ!見て!」とかLINEしているうちに消えてしまう寿命のものです。そのはかなさは季語に含まれています。
「眺め入る」。眺めているから俳句にもなるわけで、これも言わずもがなのことです。
なぜ窓辺にいたのか。例えば病気で窓際のベッドにいたとか、「束の間の」でなくて「一分半の」と具体性を出すとか、まだ、工夫が、できるのではと思うのです。
私はさつきさんの多作の才能はすごいと思いますので、これまで出来るだけコメントさせていただいてきました。
これからもお付き合いさせていただきたいと思っています。
さつきさんも、皆さんからより的確なコメントをもらえるように、投句の際には簡単でいいですから狙いとか悩みとかをお書きになるとよろしいかと思いますよ。老婆心ながら。
点数: 1
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本によれば当面は、ただがむしゃらに作れとの事で頑張っています