「青空に咲かんネモフィラの青青」の批評
ネモフィラはじめて知って驚きました。なんと雄大で相関な景色なんでしょう。
これを俳句にするのは、僕は諦めてしまうのですが、そこに挑戦されることは素敵です。
モネフィラやああモネフィラやモネフィラや
になってしまう笑
それでも気合を入れ直して詠むならば。。。
まず、
「天国にいるようだ。一面の青。空と繋がっているようだ。別世界。空にも咲いているよう。青い世界。海岸線のよう。」
いったん感じるこういう表現は全て捨てます。
そこを、「空に咲かん」「青、青」などと工夫、かっこよくしてみても一枚の写真のインパクトにはどうにもとどかない。
俳句は、外界を詠むものではなく、外界を内面のフィルターを通して写る姿を言葉で切り取るものだと考えています。
なので、みた相関な景色をどうことばにするかではなく、心は何を見たかに意識をもって詠もうとしてみます。(あくまで僕は。そして僕は俳句つまり言葉で切り取ることは下手くそなのはご了承ください😅)
ということで添削というか、提案というか、参考程度(参考ならなかったらすみません)に僕が詠むならで置かせてください。
ネモフィラの丘を登りて空仰ぐ
船のごとネモフィラの丘漂ひぬ
ネモフィラの水平線や青き春
ネモフィラの畑の奥に沈む人
春の風ネモフィラ丘の青き風
添削のお礼として、卓鐘さんの俳句の感想を書いてください >>
たーとるはこれまでテイクアウト牛皿、競走馬、サキュバス等俳句に似つかわしくないような言葉ばかりを絡めていたので、たまには自然の綺麗な句を作ってみようと考えました。拙句は北海道のテレビ中継を見ていた時に思い付いた句です。
「ネモフィラが春の季語として通用するのか」「空と植物の色を対比させるのはありがちな発想そう」という懸念がありますがどうでしょうか?
某番組で言うなら梅沢富美男さんのように、もっと風流を身につけて詠んでみたいと思う今日この頃です。