「春日向先客ベンチの欠伸猫」の批評
回答者 イサク
こんにちは。
前の句の「中九」を、助詞を外して「中八」にしていますが、リズムの悪さはあまり変わらない上に、余計窮屈に見えるようになってしまいました。
句の要素(言葉)が多すぎると、このようなことになりがちです。十七音しかない俳句に、単語を無理して入れているので。
この句は「春日向」「先客」「ベンチ」「欠伸」「猫」これでもう十七音きっちりありますから。本気で俳句にするつもりならば、どれか諦めないと・・・
ではどの要素を残せばいいのか?これは作句者の意思・好みですが、
前の句にもコメントに同じようなことを書きましたが、「日向のベンチ」で「欠伸」を想像させてみたり、「ベンチの上に猫」で「日向」であることを想像させてみたり、工夫できることはいっぱいあると思います。
また、全部文字にしてしまうのは、逆に受け手の想像の余地を奪ってしまって、あまり面白くありません。
例えば、他の方の提案の句の例(敬称略)
★先客はベンチの欠伸猫や春/げばげば
・・・この句は「日向」を省略していますが、天気のよさそうな光景がわかります。「ベンチ」「欠伸するネコ」「春」の組み合わせの効果です。
★春日向ベンチの猫の大あくび/なおじい
・・・この句は「先客」の説明をやめましたが、ベンチに座っている猫の光景としては大差がありません。「先客」と言う言葉は、作句者が「先客」と思ったかどうかだけですので、俳句の出す光景にあまり影響していません。
私も、できるだけ映像を変えずに、例えば、という句を残しておきます。
・春の日のベンチの猫の欠伸かな
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日向ぼっこをしょうと公園に行ってみると、すでに猫が長々と寝そべって欠伸をしていました。