「道端に添えた花束枯れていた」の批評
回答者 なお
如月さん、こんにちは。
御句拝読しました。
ご自身で安直とお思いということは、逆に安直でない詠み方をご存知ということだと思いますが?
それはそれとして、私が以前教えていただいたことをお伝えします。
俳句では、AがBだ、と詠むと安直になりがちなようですよ。それよりも、BなAだ、と詠むほうがいいようです。前者は説明調になりがちですし。
その点から御句を見てみますと、
「花束が枯れていた」と、「AがBだ」の構文になっています。
これを、「枯れた花束」とするのです。
それから俳句では、省略出来るものは省略しようというのがあります。
御句では、「添えた」が省けますね。なぜなら、道端の花束と言えば、大抵、事故の現場とかに供えられている花束と読んでもらえますから。
これで、「道端の枯れた花束」となりましたね。そうすると、五音余裕が出来ました。これでどうするか?
季語を入れましょう。イサクさんのおっしゃるように、水が不足して枯れるのは、冬の季語の枯葉や枯れ木と違って季語になりませんから。
季語は、この花束を見つけた「時」を入れるといいでしょう。普通は朝の通勤や通学の時ではないでしょうか?そこで「冬の朝」と入れましょう。春の朝ではないですね。心境からして。
さて、最終的にどうなったでしょうか?
・道端の枯れた花束冬の朝
げげっ、イサクさんと全く同じになりました…。
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弔いの花束が道に置いてあったので句にしました。
安直な読み方になってしまったので、こういう読み方の方が深みが出るというようなアドバイスが欲しいです。