「片恋の雨の一日星今宵」の批評
回答者 塩豆
かぬまっこさん、夕霧の拙句へのコメントありがとうございました!
私が俳句の「切れ」についどう考えているのかをここで書きます。
おそらく、ここ添削道場では異端な考え方かもしれませんが、私は「切れのない俳句」に抵抗が無いです。「切れ」は飽くまでも「俳句における表現する上で非常に有効な一つの手法」と認識しています。表現したいことを形にしていく上で、切れが有効に使えると思えば使い、そうでなければ使わない、といった感じです。どうにかこうにかして切れを作ろうとするのは何か違う気がする塩豆なのです。
さて、拙句に添削をして拵えていただいた切れのある俳句ですが、それはそれで一つの作品と思いますし、場所情報は有っても良かったかなと反省しています。添削前の俳句とは別の面白さも出ていると思います。しかし、私の元句は「夕霧の中を鐘の音の余韻が充満している」という意味で、その意味が損なわれてしまうと何の面白さも残らないとも思うのです。
…と過信かもしれませんが、、、「切れをこういう風に捉えている若造もいるのか」位に思ってくれればと思います。
酒呑んできます。
点数: 1
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七夕なので一句です。🎵✨💓
織姫と彦星は会えたかな✨✨✨✨💓