「行き別れ亡き母手繰る老兄弟」の批評
回答者 なお
岩崎光博さん、こんにちは。初めまして。
御句拝読しました。すごい内容ですね。兄弟のお顔も知らずに育ち、定年間際にようやく会うことができたということですか?
イサクさんがおっしゃっていますが、これは小説にまとめるべきことではないかと思います。なぜ俳句で詠もうと?
私は初心者なのですが、俳句は壮大なテーマを語るには不向きです。なぜなら五七五の十七音しかないからです。もちろんその中で人生や宇宙を詠むことは出来ます。ただそれは高度なレベルの話であり、一般的ではありません。俳句は、季節を映す情景を描写する文芸です。御句でお示しのような、何十年にもわたる複数の人生模様を描くのには適していません。
ただ、短歌であれば、それらしきことは言えると思いますよ。
例えばですが、
・生き別れそれぞれ老ひし兄弟を 亡き母手繰り探し当てたり
取り急ぎ詠んでみましたので、岩崎さん直してください。
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定年を迎え、乳飲み子であった自分が
成長し、忙しさの中で忘れかけていた
まだ見ぬ兄弟達…
やがて、仕事や子育てにひと段落つき
時間的にゆとりが出来て来た時、
実の兄弟達は今どこでどうしているのかと頭をよぎり、親戚、知り合いに僅かな望みを託して尋ね周り、やっとのおもいで
会えた時には、お互いに歳を重ねていた
と、言うことを俳句に託してみました。