人寄れば水鳥も寄る池の端
作者 よし造 投稿日
コメント(俳句の意味。悩みどころ)
最新の添削
添削一覧 点数の高い順に並んでいます。
「人寄れば水鳥も寄る池の端」の批評
回答者 げばげば
こんにちは。
いつも勉強させていただいています。
理論的なことはわかりませんが、ただごと俳句を当たり前やーという論調もあるようですが、日常の当たり前のことを読みながら日常性を超えてくるのが俳句なのかなあと名句を読むと思ったりします。
芭蕉の句や子規の鶏頭とかもそうですが、読み手にぐっとくる何かってなんなんでしょう?詠み手の心や魂なんでしょうか。
難しいことはわからないですが、日常の中の当たり前に改めて気づいたような御句、好きです😆
池の端は想像の範囲かも。けり俳句にしたいような。
人寄れば水鳥の二羽寄りにけり
点数: 0
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「人寄れば水鳥も寄る池の端」の批評
回答者 なお
こんにちは。よし造様、いつもお世話になってます。
私はよし造さんの俳句はそのほとんどが好きですし、私宛てのものはもちろん、他の方に対するコメントもさすがと思わせるものがあります。それはなぜかというと、独りよがりになっておらず、自他のバランスが感じられるからだと思います。
「ただごと俳句」、これって私の目指すところで、日常の何でもない光景を詠んで、でも人に感動を与えることが出来たらと思っています。
さて御句ですが、いい句です。こういうこと、ありますよね。
寄ってくる水鳥は色々な種類がいると思いますが、私は、自分の投句でも水鳥の羽の白さにこだわりましたので、提案句でもそこに触れさせていただきました。「白」に潔白の意味を含めました。
・人寄れば寄る水鳥の羽白し
点数: 0
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「人寄れば水鳥も寄る池の端」の批評
回答者 イサク
こんばんは。
「ただごと」=「日常のこと」であるならば、「ただごと俳句」は何の蔑称でもないのですけど、なぜか俳句の世界では「ただごと」はダメ、みたいな方がいらっしゃいますね。
ただ「ただごと」と「平凡・あたりまえ・類想」は別の話ですね。
御句、下五の「池の端」がややもったいないかと・・・「池の端」という位置情報は「人と水鳥が寄る」で想像できそうです。
・人寄りて水鳥も寄る不忍池
点数: 0
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「俳句」で「ただごと」俳句の特集を見たら、やはり私が好きなのは「ただごと俳句」だと再認識した。夏井いっきも興味があるが。でどこかで見たようなただごと俳句。
成功しているとは思えませんが。不忍池でよく見る景です。