「濃紫陽花視力検査の始まりぬ」の批評
回答者 寒月
ハオニーさま
こんばんは。
先日は添削くださり、ありがとうございました。そして、お礼が遅くなり申し訳ありません。この場を借りて、お礼を述べさせていただきます。添削いただきましたこと、温かい言葉をかけていただきましたこと、本当にありがとうございました!「濡るる髪」を「ひとりきり」に変えたことで、1人ぼっちの寂しい情景が強まりました!おかげで、次の句を作る励みになりました!また、直々出来の悪い句を投稿することと思いますが、またひとつ、ご指導いただければと思います!よろしくお願いいたします!
点数: 1
添削のお礼として、寒月さんの俳句の感想を書いてください >>
今回は「紫陽花」で一句
今もそうなのですが、中学生のころ私はとても視力が低く、視力検査がイヤだったことを覚えています
「どうせ視力0.1より下だよ」と、視力検査をするときの説明などは完全に聞き流し、雨の降っている窓の外をぼんやり眺めていました
すると、目の悪い私には紫陽花の濃い紫色が真っ先に飛び込んできました
雨に濡れた紫陽花をじっと眺める機会なんてそのときはなかったので、今でも紫陽花を見るとそのことを思い出します
季語に紫陽花を使ったから「雨」「傘」などのすぐに出てきそうな言葉は外しました
なにより、「紫陽花は雨のイメージを上手に引き連れてくる」なんて自分で言っておいて書くわけにはいきません
悩みどころ
季語「濃紫陽花」でいいのか?
→感動の核は「色」にあるからこの季語しかない
語順は?
→視力検査が始まる前に紫陽花を見たのだから語順は合っているはず
季語の描写が甘くないか?
→視力検査に音数使いすぎたとは思っています
漢字が続いて読みづらくない?
→おっしゃるとおりです
弱点はある程度探しだし、対策したつもりです
そのときの感動が薄れる不安はありましたが、二度くらい推敲しています
直す前の句
濃紫陽花視力検査の窓際に
「窓際に」が説明的だと手直ししました
皆様の感想、お待ちしております