「絵日傘の廻ることなく渡りけり」の批評
回答者 なお
こんにちは。卓鐘様、いつも勉強させていただいております。
拙句「寄り添う日傘」ご評価ご添削有難うございました。私のイメージした「寄り添う」は、日傘の距離を疎ましく思いながらも、なんとか呼吸を合わせて一緒に歩いていこうととする様を詠んだつもりでしたが、複数の方々から、「日傘差しても寄り添えているなら問題ないのでは?」的なご指摘をいただいてしまいました。「寄り添う」の捉え方の違いと思いますが、私の表現力の無さ、「寄り添う=近づいてはいるものの一体ではない」という私の考えが独りよがりというか、きちんと伝えられていなかったと反省しております。
さて御句ですが、白日傘と絵日傘、それぞれの特徴を活かした句作、流石と思いました。私はこの句は、絵日傘を持った女性が何か(どこか)を渡るところを、作者が高いところから見ていて、その女性が絵日傘を廻さずに渡り切ったために絵柄が何であるかわかったぞ、面白い絵柄だな、という句意と詠みました。合ってますか?
最初は「廻る廻らないがどう関係があるんじゃ?」「そもそもどこを渡るんじゃい?」とかなり悩み、わからず一旦投げていました。
ところがふっとひらめいて、こうかな?と思った次第です。
そこで敢えてお伝えしますが、卓鐘様ほどの方であれば、この絵日傘が廻らなかったことによる発見と、渡ったのがどこであるかを五七五に入れ込むことがお出来になるのではと思いました。さらに素敵な句になるのではと。ぜひご検討いただければ幸いです。
もっとも、私の読みが的外れであれば問題外。ご放念ください。
点数: 1
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前句。皆様からご指摘あった通り、言われればわかるけど、的な句になっちゃいましたね。反省。反省しても17音は難しい。。
絵日傘なんてもったら、絶対廻しちゃうw